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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 誰〈た〉が袖坂〈そでさか〉(垂水区井川谷町前開)

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更新日:2012年11月12日

誰〈た〉が袖坂〈そでさか〉(垂水区井川谷町前開)

明石と須磨の間は山と海とがせまり、細い街道〈かいどう〉がひとすじとおっているだけです。もしも、大雨が降ったり暴風雨があると、たちまち、交通がとだえます。このため、明石から伊川をさかのぼり、前開〈ぜんかい〉・布施畑〈ふせばた〉から摂津〈せっつ〉の妙法寺〈みょうほうじ〉川上流に出る「白川越〈ごえ〉」の間道〈かんどう〉がつくられました。三身山太山寺〈さんしんざんたいさんじ〉は、この間道にそって建っている最も有名な古刹〈こさつ〉(古い寺)で、国宝や重要文化財がたくさんあります。

ところで、この太山寺仁王門から二百メートルばかり西の方に、「苦集滅道〈くがみち〉」とよばれる坂があります。土地のいい伝えに、「この坂で倒れると命が短かくなる」といい、たいへん忌〈い〉みきらいます。そして、これをのがれるためには、
「着物の片袖〈かたそで〉を裂〈さ〉いてそこに捨〈す〉て、身代りに立てるとよい。」
と伝えています。
近年まで、誰のものともわからぬ片袖が、この坂道にはいくつも捨ててあるのを見た、ということです。こうしたことからでしょうか、誰いうとなく、この坂道を「誰〈た〉が袖坂〈そでさか〉」とよぶようになりました。

(『日本伝説叢書』明石の巻)

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