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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』神戸編 > 木〈け〉やり音頭〈おんど〉(兵庫区)

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更新日:2012年9月17日

木〈け〉やり音頭〈おんど〉(兵庫区)

「おーい。船が見えたぞー。」
「やあー。きたぞ、きたぞ。」
和田の岬〈みさき〉をまわった船の数が、しだいに多くなってきました。浜では大ぜいの人びとが集まって、船が港へ入るのをまっています。
「だれか。早く、お知らせにいけ。」
「よし。お館〈やかた〉まで、ひと走りだ。」
「うん。そうだ。みんなを呼びにいこう。」
この多くの船には、瀬戸内〈せとうち〉や九州からの木材や石材がいっぱい積んであるのでした。

これは今から、八百年ほども昔のはなしです。平清盛は、早くから兵庫という土地に目をつけていました。保元〈ほうげん〉・平治〈へいじ〉の乱で勝利をおさめた平氏の勢いは、ますます強くなるばかりでした。そこで清盛は兵庫に島をきずき、大きな船がはいれる港にして、宋〈そう〉国との貿易をはじめようとしたのでした。難工事だった築島〈つきじま〉もでき、西国からの船が兵庫の港にもはいるようになりました。それまでは、街道沿いのさびしい村だった兵庫の浜も、ようやくにぎやかになってきたのでした。

治承〈じしょう〉四年(一一八〇年)清盛は、都を京都からこの地福原に移しましたが、なにぶん急なことなので、都としてのかたちがまだできていません。また、都を移ることについても、京の人びとの中には反対の人もたくさんいるのでした。道路は、風の日はほこりがまいあがり、雨の日はぬかるんでしまいます。家も手ぜまで十分ではなく、京の都とくらべものになりませんでした。清盛は、早く都らしい街並〈まちな〉みを作りたいと思い、西国から建築用材などを運ばせているのです。

「さあ、みんながんばるんだぞ。」
しかし、用材を運ぶ仕事はなかなかたいへんです。みんなは、疲れてしまいました。手の動きや足の運びもにぶりがちです。
「よーし。みんな。」
一人の若者が木材の上にとびのりました。そして、手ぬぐいをむこう鉢巻にしめなおし、身ぶり手ぶりを入れて大きな声でうたいだしました。

歌記号祝いめでたの 若松さまよ
枝も栄えて 葉も茂る

「そんな歌なら、わしも知っているぞ。」
「さあ、みんな、うたえ、うたえ。」

歌記号御代〈みよ〉は治まる 思うことかのた
末は鶴亀〈つるかめ〉五葉〈ごよう〉の松

ふしまわしや歌詞は、どこにでもある木やり音頭のようでしたし、また、兵庫の津で舟子〈ふなこ〉たちが歌った“お船唄”にも似〈に〉ているようでした。
つぎつぎに歌っているうちに、兵庫という土地のことがらがはいったうたにかわっていきました。

歌記号兵庫名所 七宮祭り
和田の笠松〈かさまつ〉 築島寺

歌記号梅は岡本 桜は生田
松は兵庫の湊川

歌記号摩耶〈まや〉の高嶺〈たかね〉に 雲井の空よ
さらす布引〈ぬのびき〉 滝の水

歌記号花の須磨〈すま〉寺 若木の桜
残る青葉の 一の谷

平清盛が、夢かけてつくらせた福原の都も、半年あまりで京へかえることになってしまいました。
都はなくなりましたが、兵庫の港は残りました。兵庫の浜の人びとが、木〈け〉やり音頭〈おんど〉を歌い、踊りながら用材を運んだのが、いつしか、兵庫の津の氏神である七宮〈ひちのみや〉神社のお祭りの名物として伝えられてきました。兵庫には、十二の浜があって、木やり音頭はそれぞれの浜に伝えられていたのですが、今では西出町〈にしでまち〉にだけ残っています。

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