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更新日:2012年6月1日

布引滝(葺合区)

今からおよそ九百年ほどむかしのことです。
そのころ、たいそう強い勢力をもって日本を治めていた平清盛〈たいらのきよもり〉は、京都に住んでいました。ある日清盛はとつぜん、「わしはこれから摂津〈せっつ〉の国の布引滝〈ぬのびきのたき〉を見物にまいる。皆の者、供〈とも〉をいたせ。」といい出しました。大ぜいの家来たちは、さっそくしたくを始めましたが、ただ一人だけ、難波六郎経房〈なんばのろくろうつねふさ〉という人だけは、きょうはどうしても行きたくないといって、したくをしょうともしません。まわりの者がわけを聞くと、経房は、「じつは昨夜、私は恐ろしい夢を見たのです。何か悪いことが起こるのではないかと思うと恐ろしくてなりませんので、きょうは外出しないでじっと家にいて、仏さまにお祈りしていたいと思います。」といいました。

これを聞いて他の家来たちは、「弓・矢・刀を手にする武士が、悪い夢を見たといって恐れているようなことでどうする。」といい合って、笑いながら出ていきました。後に残った経房は、「なるほど、いわれてみればそれもそうだわい。」などと考え、少しおくれてから皆の後を追いました。経房は、「ついうっかり寝すごしておりましたが、急いで追いついてまいりました。」といって、清盛のお供の行列に加わりました。


大ぜいの家来たちをつれた清盛の一行は道道、あたりの美しい景色を眺めながら、とうとう目ざす布引滝にやってきました。皆の者は、思い思いに滝を眺めて歌をつくったり、食事をしたりして楽しくすごしておりましたところ、とつぜんまっ黒い雷雲が天に広がり、ぽつり、ぽつり、と大つぶの雨が降りはじめたかと思うと、またたく間にあたり一面ものすごい大雨になりました。まわりの立木につきささるような稲光り、大地をゆさぶるような雷鳴とともに大嵐がやってきたのです。

経房はこれを見ると真っ青になって、ぶるぶるふるえながらいいました。
「ああ殿様、私が恐れていたことは、じつはこのことでございます。それは去年の秋の源氏との戦いのおりのことでございます。悪源太源義平〈あくげんたみなもとのよしひら〉が死ぬまぎわに、“戦いに敗れて残念じゃが、いつかはこのおれが雷鬼〈らいき〉となって、お前たち一人残らずけちらかしてしまうぞ。”といって、ものすごい形相〈ぎょうそう〉で私をにらみつけて息を引きとったのでございます。私は昨夜、この義平が雷になったのを夢で見たのでございます。ついさっき、手まりほどの丸いものが北の方からふわっと飛んできたのをごらんになったでしょう。あれこそ義平の亡霊にちがいありません。この経房に向かって魂が化けてくるのでございます。」

いい終わると経房は覚悟をきめたように、刀をぬいて身構えようとしました。ところがどうでしょう、その時、大きな岩ほどもあるような黒い雲のかたまりが、頭の上からすーっと下りてきたかと思うまに、経房のからだはすっぽりと黒雲につつまれてしまいました。まわりの者はびっくりして、おろおろしているばかりです。経房は最後の力をふりしぼって刀を引きぬき、義平の亡霊に向かって切りつけようとしました。その瞬間、あたりの岩や木を根こそぎゆさぶるような大きな音とともに、経房のからだは粉みじんになって飛び散ってしまいました。清盛は、首からぶら下げていたお守りを手にしっかりにぎりしめ、口に念仏をとなえてふるえておりました。
経房の持っていた刀は、つばのところまでへし曲がってしまっておりましたが、たいせつに持ち帰って、経房の供養〈くよう〉のためにお寺をつくる時の釘にした、ということです。


それからしばらくたったある夏のことです。平清盛の長男に、平重盛〈たいらのしげもり〉という人がありました。重盛がやはり布引滝を見物に出かけた時の話です。
あたりの木の緑色、流れ落ちる水しぶきの白さ、どうどうと音をたてて水が落ちこむ深い滝つぼの青黒い色、すべてが神秘的で美しいけしきでした。これを見た重盛は、ふと、この滝つぼの中はどんなになっているのだろうと思いましたので、お供の者に、「だれか、この滝つぼの中のようすを探ってみる者はないか。」と呼びかけましたが、不安に思って、だれも名のり出ません。すると難波六郎経俊〈なんばのろくろうつねとし〉という者が、「私が行ってみましょう。」と名のり出ました。経俊はふだんからたいせつにしていた二尺八寸(約八十五センチ)の刀を脇にして、ザブンとばかり飛びこむと、勢いよく抜手をきって底の方へ泳いでいきました。経俊はどんどん泳いでいきましたが、いくら泳いでも泳いでも底につきません。

ずいぶん泳ぎました。やっと先の方にぼんやりと明かりが見えてきました。最後の一泳ぎして、明かりのところにつきました。すると、急にあたりがま昼のように明かるくなりました。見ると経俊は御殿〈ごてん〉の屋根の上のようなところにたどりついていました。


でも奇妙なことに、自分の腰から上は水の中にあるのに、下の方にはありません。ふしぎに思って庭に飛び降りてよく見ると、そこには水がなくて、金・銀・さんご、そのほかあらゆるめずらしい宝石をちりばめた美しい御殿の前でした。

東の方を見ると、そこにはかすみにけむる野山にうぐいすが鳴き、柳の芽が緑色にかがやき、うすむらさき色の藤の花が咲いている春のけしきがくりひろげられていました。南を見ると、そこにはばら、しょうぶ、うの花が咲き乱れ、蛍が飛びかいせみが鳴く夏のけしきでした。西を見ると、そこにはおみなえし、すすき、はぎ、菊の花が咲き、紅葉が美しく、虫の鳴き声の聞こえてくる秋のけしきでした。最後に北の方に目をやると、そこは木木の梢が枯れて、雪が深く降り積もりこがらしの吹く冬のけしきでした。
でも、ふしぎなことに人の姿はどこにもありません。ただ、どこからともなく「はた」(布を織る道具)織り〈おり〉の音だけが静かにひびいてきました。


経俊は手に刀をしっかりにぎりしめて、この音をたよりに奥の方へとゆっくり進んで行きました。
建物の一ばん奥の部屋の前について、おそるおそる戸のすき間から部屋の中をのぞいてみると、そこには身長が八尺(約二・四メートル)もありそうな、長い髪を後ろにたらした三十才ばかりの女の人が「はた」織りをしていました。経俊は、「もしもし、ここはどこでしょうか。そしてどなたのお住まいでしょうか。」とたずねました。

すると女の人はふり向きもしないで、「ここは布引滝の竜宮城じゃ、お前らがくるところではない。さっさと帰れっ。」と答えました。
経俊はびっくりぎょうてん、必死に泳いでやっとのことでもとのところへたどりつきました。そこで重盛に、滝つぼの中の竜宮城のことをくわしく話していますと、それまで晴れていた空が急にくもりはじめ、滝の上はみるみるうちに黒い雲におおわれました。またしても大嵐が起こったのです。これを見て経俊は、「私はきっと、雷のために引き裂かれて死んでしまうでしょう。ここは危うございます。殿様はここを離れていてください。」と申しました。人びとは恐ろしさのあまり、先を争って建物の中に逃げこみました。


まもなく雨は止み、今まで上空をおおっていた雷雲もうそのように、空はくっきりと晴れ上がりました。

重盛と家来がそーっと建物のかげから出てきてみると、そこには経俊が、何かするどい爪のようなもので引き裂かれて倒れていました。経俊の右手にしっかりとにぎられた刀には血がついており、そのそばには、猫の足のようなものが切り落とされていました。

『平治物語』・『源平盛衰記』

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