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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > 正月の朝に祝〈いわ〉いをしない家(姫路市広畑)

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更新日:2013年1月28日

正月の朝に祝〈いわ〉いをしない家(姫路市広畑)

いまはもうこんな家は一軒〈いっけん〉もありませんが、むかし姫路市の広畑〈ひろはた〉に、正月の朝のお祝いをしない家が、二・三十軒〈けん〉は残っていました。これらの家々につたわっているいいつたえに、ふたとおりのものがあります。

これらの家は、もともと広畑の西南にあたる高浜の土地に住んでいました。ちょうどそれは、豊臣秀吉が英賀〈あが〉城を攻めていた天正〈てんしょう〉八年の正月元旦のことでした。
村のものたちは、一同うちそろって正月の朝祝いをしようとしていますと、秀吉の兵が、この土地を守っている英賀城の家来〈けらい〉の城を急にせめよせてきました。そのため、このあたりが正月早々〈そうそう〉に戦場〈せんじょう〉になりました。そこで村の人たちは、どうするひまもなく、あわてあわててにげのびました。それっきりこの土地の人は、正月の朝祝いを二日にのばしました。広畑に移転〈いてん〉してのちも、この習慣〈しゅうかん〉はやまないでずっとつづき、とうとう近年までつづけられたということです。

これらの家が高浜にすんでいた当時〈とうじ〉は、大へん貧しいくらしをしていました。そのため正月に朝祝いをしようと思っても思いもよらないことでした。その日その日のたきものでも、薪〈たきぎ〉はまったくありませんでした。わらをそぐった「そぐりわら」ですませていました。そののち、家がだんだん豊かになって、くらしもしやすくなってきて、いろいろな祝いごともできるようになりました。しかし、村の人たちは、一同申しあわせて、貧しかった昔を忘れないために、元旦の朝祝いをとりやめてしまいました。それが近年まで慣例〈かんれい〉になっており、正月の祝餅〈いわいもち〉をつくときのたきつけは、かならず「そぐりわら」をつかったということです。

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