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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > 海に魚がいなくなる(市川町)

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更新日:2013年1月7日

海に魚がいなくなる(市川町)

むかしむかし、といったところで、はっきりいえば、孝徳天皇〈こうとくてんのう〉さまのころのことやから、いまから千三百年ほどむかしの話になるわけです。白鳳〈はくほう〉時代といっていたそうな。
姫路の東北の二十四キロほどのところに、海抜七百メートルほどの山がありました。あとでしらべると、神崎郡市川〈かんざきぐんいちかわ〉町の瀬加〈せか〉というところの、笠形山〈かさがたやま〉だろうということになっています。
なんせ、一千年のむかしの話のことですから、そこが、そこだったというはっきりした記録がありません。
が、とつぜん、そのてっぺん・・・・に、金色〈こんじき〉の御光〈ごこう〉がさしました。
「あっ!、わしゃ、眼がくらみそうだ。あの山からおっそろしい光にあてられた。」という男が出てきました。
「あの山って?。」と、村人がきいて、われもわれもと、その七百メートルほどある山の見えるところへ出かけていきました。
「あっ、ほんまやのう、御光〈ごこう〉というもんは、こんなにひどうこたえるもんかのう。」そういって、わざとうしろへひっくりかえるものもありました。
「わしゃもう、目をやられて、なんにも見えんようになったわい。」と、いう人も出てきました。
御光〈ごこう〉というのは、わずか六センチに足らない、お薬師〈やくし〉さまからとび出していました。
ところで、もうひとつ、大へんなことがはじまったのです。
御光は、遠く大塩〈おおしお〉(姫路市)曽根〈そね〉(高砂市)明石〈あかし〉方面の海岸まで、あかあかとてらしました。
この光にびっくりしたのは、そのへんの海に住んでいた魚たちです。たい・・に、まぐろ・・・に、いか・・に、いわし・・・
「大へんじゃ、目がくらくらっとして見えない。こんなところにおっちゃ死んでしまう。」と、魚たちはつぎつぎと、よその海へにげていきはじめました。おしまいには、たこつぼ・・・・にいた明石のたこ・・までにげてしまうありさまです。
「大へんじゃ、これじゃ、わしらの商売の魚が、一匹もおらんようになる。」この大へんじゃは、そのふきんの漁師〈りょうし〉たちでした。かれらは、顔色をかえて、熊野〈くまの〉(三重県)の権現〈ごんげん〉さまにこのことを告〈つ〉げ、おたすけをたのみました。
熊野の権現さまは、さっそく、このねがいをきき入れて、千ほどもある青草を集め、瀬加の笠形山にあるお薬師さまのお像〈ぞう〉をかくしてしまいました。
のちにお像は、となりの金蔵〈かなくら〉山へうつされ、それからずっと、そこにまつられているといわれます。
この笠形山は、富士山の形ににているので、播磨富士〈はりまふじ〉ともよばれています。

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