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更新日:2012年6月1日

首切り地蔵(神崎町)

旅の身じたくをした上月平左衛門〈こうづきへいざえもん〉は、多可〈たか〉の郡〈こおり〉への道を急いでいました。やっと領内の土地から離れて、天領〈てんりょう〉に入り一息ついたところです。

平左衛門はこのあたりの大庄屋〈おおじょうや〉をしていました。百姓たちは、うちつづく不作のために苦しんでいました。

その上に藩からの年貢〈ねんぐ〉の取り立てはますますきびしくなっていきました。平左衛門は何回も何回も藩の役人に税金を少なくして、人びとを救ってもらうように申し出ましたが許されません。

人びとの苦しい姿を見るにしのびず、死を覚悟〈かくご〉して幕府〈ばくふ〉の役人に直訴〈じきそ〉することをきめました。そして、やっと藩外の地に出たところです。

ところが、幕府に訴える〈うったえる〉ことが藩の役人に知れたから大へんです。すぐに家来をあちらこちらの街道に走らせました。

それとは知らない平左衛門は東への道を急いでいました。日も西に傾きかけたころ、藩の役人が追いついてきて「平左衛門よろこべ、お前たちの申し出は聞き入れることになった。早く帰って村人たちを安心させてやれ。」と、伝えました。平左衛門はよろこびいさんで「これで村人たちも救える、うれしいことだ。」と、暗い夜道もいとわずに朝きた道をひきかえしていきました。

ちょうど領内に入ったとたん、覆面〈ふくめん〉をした数人の武士にいきなりきり殺されてしまいました。計画とわかった時の平左衛門の心はどうだったでしょうか。朝になってこのありさまを見た根宇野〈みよの〉の人たちは、あまりのむごたらしさにしばらくの間は、ただぼんやりとしていました。人びとはなげきかなしみ、霊をなぐさめるために、道ばたに地蔵さんをたてておまつりしました。

ところが、幾日もしないうちに、地蔵さんの首のところからコロリと割れて落ちてしまいました。
「ああ、もったいないことだ。」根宇野の人たちは、もう一度地蔵さんをつくっておまつりしました。ところが、どうしたことか、また前と同じように割れてしまいました。

ちょうど、あの朝、平左衛門が殺されていた姿と同じではありませんか。二つのお地蔵さんとも、けさ切りされた姿です。人びとはお坊さんをよんで、ねんごろにお経をあげてもらい霊をなぐさめました。それ以降今にいたるまで花や線香がたえたことがありません。今も地蔵盆にはにぎやかに盆踊りが行なわれています。

また、生地の大河内町新野〈にいの〉には、義人上月平左衛門の徳をたたえて、大きな墓碑〈ぼひ〉がつくられています。

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