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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > 吉備〈きび〉の真備〈まきび〉(広峯神社)(姫路市広峯)

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更新日:2012年10月1日

吉備〈きび〉の真備〈まきび〉(広峯神社)(姫路市広峯)

奈良の大仏を建てられた聖武〈しょうむ〉天皇の天平〈てんぴょう〉四年に天皇の命令を受けて、中国へ遣唐使〈けんとうし〉(中国の唐へのお使い)として行った吉備〈きび〉の真備〈まきび〉が、大役を果たし、瀬戸内海〈せとないかい〉を東へ東へと、都に向かって船をすすめておりました。
その日は雲ひとつない晴天で、波もおだやかでした。真備は気も晴やかに船べりに立って美しい瀬戸の島々をぼんやりと眺めておりました。うしろへうしろへと去って行く島々も、海岸にせまる美しい山なみもすべてが、自分をむかえてくれるような気がしました。
とつぜん、お供の
「真備さま、真備さま、何か向こうの山に妙な光がさしています。」
と、いう声によって、われにかえりました。
そして、供の指さす方向を見ると、北の方になだらかに続く峯の一点に、ぼんやりとかすみがかかり、その中に光るものが見えます。
その光は、人家の光と違って何かあやしげな霊気〈れいき〉がただよっています。
「これは、ただの光ではない。何かが我々をまねいているのかもわからん。」
「さっそく行って調べてみよう。」

一行は、船を浜に着け、輝く光をたよりに北へ北へと進みました。近づくにつれその光はますますあやしげな光となり、神々しい光にかわりました。
どんどん進むうちに、道は全くなくなり一度も足をふみ入れたことのない森が続いています。一行は、その森をかきわけかきわけ進みましたが、中腹にさしかかったとき、どうしても進むことができず、今まで乗っていた中国からつれ帰った牛をそこに残して、歩いてけわしい道を登りました。
やっと、頂上に近づいた一行の前に、その光はますます神々〈こうごう〉しさを増しています。
とつぜん、その光の中から、
「われは素盞鳴尊〈すさのうのみこと〉なるぞ、ここにほこらを建て、われが播磨〈はりま〉一円の守り神たらん。」
「さすればみのり多き里〈さと〉になるであろう。」
という声がふりかかってきました。
その声の神々しさに、一行はただ恐れ入るばかりでした。
「さっそく帰り、御帝〈みかど〉に申し上げましょう。」
と答え、急いで山を下ろうとしますと、その光は、一すじの光の束〈たば〉となって、真備たちの行く手を案内するようにてらしました。

都に帰り、さっそく御帝にありのままを申し上げ、白弊〈はくへい〉山の頂上にほこらを建て、素盞鳴尊をお祭りしました。
それが、今の広峯〈ひろみね〉神社の始まりですが、のち下の平な土地にうつし、りっぱな神社となりました。
そして、白弊〈はくへい〉山の頂上には、真備〈まきび〉をお祭りした社〈やしろ〉を建て、その徳をしのんでいます。真備はたいへん頭がよく、そのうえに勝負ごとに強かったので、今では受験の神様として、受験する人びとがあとをたちません。また途中で乗りすてた牛も岩となり、播磨平野を見下す平野坂の中腹に残っています。人びとは、その岩を牛岩と呼んでいます。

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