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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > ガタロとお乳の薬(夢前町)

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更新日:2012年6月1日

ガタロとお乳の薬(夢前町)

「ガタロ」というのは「カッパ」のことで、この地方でそう呼んでいました。
夢前町前之庄〈まえのしょう〉に岡〈おか〉という村があります。

岡村に関〈せき〉という家があります。その先祖は、一時播磨〈はりま〉・美作〈みまさか〉・備前〈びぜん〉の三か国そのほかを治めていた赤松氏の末孫光氏〈みつうじ〉という人です。光氏は戦国時代に丘村にすみついたようです。その後代々岡村に住んだ豪族〈ごうぞく〉でありました。田畑もたくさんあり、力の強い良い馬も飼っていました。

家の近くに夢前川が流れていて、むかしはこの川原に、牛や馬を放し飼い〈はなしがい〉にしていました。川原の南に、岩山を背にして、大きな淵〈ふち〉があります。とっても深い淵で、「穴淵〈あなぶち〉」といっていますが、むかしからどんなに日照りが続いても、またどんなに水をかえ干そうとしても、淵は底を見せたことがありません。ここから三キロメートルほど離れた高長〈こうちょう〉という村に、「どんどが淵」という大きな淵がありますが、この二つの淵は底の方でつながっているともいわれています。穴淵〈あなぶち〉には大きなガタロが住んでいて、これまでにも、牛や馬を淵の中へ引きこんで、食べてしまったことが何べんもありました。ある日、関家の馬が川原で草を食っていました。そのとき、首につけてあった綱〈つな〉が何かのひょうしに、水の中につかりました。

淵の中で機会〈きかい〉をうかがっていたガタロは水中にいるとき、とても力が強いものです。馬は驚きました。普通の馬なら、すぐに引きこまれてしまうところですが、さすがは関家の自慢〈じまん〉の名馬です。これもまた力一ぱい引っぱりました。馬とガタロのいのちがけの綱引きが始まりました。長い間負けず劣らず、力くらべが続きました。ガタロの甲羅〈こうら〉が水の上に出ました。ガタロは甲羅が水中にあるときはとても力が強いのですが、水上に出るともう駄目です。するするっと、川原に引き上げられました。馬はガタロを綱でしばりあげて家までひいて帰りました。

これを見た主人は「にくいガタロめ、百姓の大事な牛馬をたくさん殺し、その上きょうまた俺の馬まで奪おう〈うばおう〉とした野郎〈やろう〉、よし敵〈かたき〉を討ってやろう」と、大きな槍〈やり〉で突き殺そうとしました。ガタロは驚いて「おゆるしください、もう悪いことは少しもしません。」と、心からわびました。情け深い主人は、わびいるガタロを殺す気にもなれず、いろいろ注意をあたえて許してやりました。ガタロも心から後悔〈こうかい〉して、「お礼によい薬〈くすり〉を教えます。」といって、ある薬の調合方〈あわせかた〉を教えて「この薬をお乳の出ないおかあさんにあげてください。きっとお乳がたくさん出るようになります。」といって淵へ帰りました。

それからあとは、穴淵〈あなぶち〉でガタロを見た人もなく、また、牛馬を取られることもなくなりました。
関家では、この薬を乳養散〈にゅうようさん〉といって、お乳の足りない人にあたえましたが、よく効いた〈きいた〉ということです。この薬は家伝薬〈かでんやく〉としてながい間作っていたそうですが、今は作っていません。

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