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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > 海の神と山の神(家島町)

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更新日:2012年10月29日

海の神と山の神(家島町)

むかし、むかしのおはなしです。
播磨灘〈はりまなだ〉をあずかっている家島〈いえじま〉の大神〈おおみかみ〉と、対岸の高砂子〈たかさご〉の高御位山〈たかみくらやま〉にいる神の間に、かみ島(神島)をはさんで争いがおこりました。
家島の大神は「かみ島は家島のものだ。」といいました。高御位山の神は「かみ島は志方〈しかた〉村のものだ。」と主張しました。家島の大神と高御位山の神の争いは、お互いがゆずることをせず、ながい間つづけられて、なかなか平和に解決〈かいけつ〉することができませんでした。
それを知った高御位山のふもとの阿弥陀〈あみだ〉村の阿弥陀さんは「なんだ、神さんと神さんのけんかだから見ていてやれ。」と、そしらぬふりで見ておりました。

ところが、何年たってもなかなか話し合いがつくようすはありません。そこで、見ていてしびれを切らした阿弥陀さんが、
「よし、神々で話し合いがつかなければ、仏のわたしがかって出よう。」と思いつき、ある日高砂子〈たかさご〉沖の“かみ島”の女神〈めがみ〉に合いに行きました。
かみ島をたずねた阿弥陀〈あみだ〉村の阿弥陀さんは、女〈め〉神に向って、
「家島の大神と高御位山の神と、どちらが好きですか。」とたずねました。
かみ島の女神は、家島の大神が好きだといいました。それをきいた高御位山の神は不満〈ふまん〉たらたら納得〈なっとく〉ができず、夜のうちに播磨灘〈はりまなだ〉に出て、かみ島を綱〈つな〉でしばり、高御位山から力まかせに高砂子の海岸にひきよせはじめました。

それを知った家島の大神は矢も楯〈たて〉もたまらぬ思いで、さっそく家島一の腕自慢〈うでじまん〉をほこっている“孫兵〈まごべ〉エ”に命じて、大いかり・・・を用意し、急いで孫兵エに持たせて“かみ島”に向かわせました。そのころ島の根が海底をはずれた“かみ島”が、高御位山の神に引かれて、ジリジリと高砂子の海岸に向って引きよせられていくのを見た孫兵エは大へんおどろきました。
「これは大へん、このあたりでくい止めねば、えらいことになる。」といいながら大いかりを海中に投げ入れました。
すると、ふしぎやふしぎ、今まで動いていたかみ島が、はりつけたように動かなくなりました。そして、高御位山の神が全身をこめた力で引っぱりよせた綱がプッツリと切れ、雷〈かみなり〉の落ちたようにとどろく鳴動〈めいどう〉をおぼえたと思うと、高御位山の神が、どってんかえして、おちてきたといいます。

今、家島群島かみ島の南方に“孫兵〈まごべ〉エ”ともいい、あるいはまた“大いかり”ともいっている暗礁〈あんしょう〉があって、この海をゆく船はかならずそこをさけて通らなければなりません。
=上島とおらば、軒〈のき〉げた通れ、北を越〈こ〉すなら、百間あらけ=と船のりたちをいましめて“上島”を通過することのむずかしさを教えております。

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