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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > おも舵〈かじ〉かとり舵〈かじ〉か(家島町)

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更新日:2012年11月26日

おも舵〈かじ〉かとり舵〈かじ〉か(家島町)

むかし参勤交代〈さんきんこうたい〉で江戸にのぼる九州豊後〈ぶんご〉の殿〈との〉さんののった船が、瀬戸〈せと〉の海をドンチャン、ドンチャンにぎやかな鳴物〈なりもの〉いりで、やってきました。吉備〈きび〉水道をぶじ通りぬけて播磨灘〈はりまなだ〉にさしかかり、今や、家島沖をこえようとした時でした。
さあっとひと吹きの風が吹きつけてきました。
その後はものすごいうなりとなり、「播磨灘〈はりまなだ〉の死風〈にしかぜ〉」とおそれられている「高東風〈たかこち〉(稲佐吹〈いなさぶき〉)」となりました。
播磨灘の特異性〈とくいせい〉を知らない無謀〈むぼう〉な航海であったのです。殿さまの船をまかされている船頭〈せんどう〉の計画では、
「きょうは家島の港に舟を入れ、五、六日休養をとってから、日和〈ひより〉をみて出発しよう。」ということでした。
けれど殿さまはきき入れませんでした。
「かまわぬ、かまわぬ、摂津〈せっつ〉まで急がせよ。」といいました。
いくさの野にさい配〈はい〉する殿さまでも、海に出てのことは船頭にまかせるのがよかったのです。船頭は、がっくりと頭をたれましたが、しかたがありません。殿さまの言葉にさからえず、船は、家島の沖を通り過ぎていきました。

ちょうどその時のことです。不吉〈ふきつ〉なひとすじの風が帆柱〈ほばしら〉をゆさぶり、つづいて雷鳴〈らいめい〉と暴風雨〈ぼうふうう〉がものすごい勢いで荒れくるいました。こうして豊後〈ぶんご〉の船は、播磨灘を行ききする船の一番こわがられていた稲佐吹〈いなさぶき〉に出会ってしまったのです。
むかしから、島の人びとの間に、「播磨灘の死風」と呼ばれた稲佐吹でした。みるみる海上はくるった白馬をはなしたように、白波が折り重なってあばれまわり、船は木の葉のようにただよいました。甲板〈かんぱん〉で立ちすくんで仕事をする船夫〈かこ〉も、荒波にふりおとされ、激浪〈げきろう〉に身を消していく者もだんだんできてきました。
「お殿さま!お殿さま!舵〈かじ〉が折れました!」船頭が顔色をかえて殿さまに走りよりました。
「何!なに!舵が折れたとなー、どの舵が折れたのか。船には舵は二本あるはずでないか。おも舵か、とり舵か、舵はこのとおり二本あるではないか。どちらの舵が折れたというのか。たとえ一本折れても、残った一本で船をすすめよ。」と殿さまはいいました。
が、船は、殿さまの思いのままにならず、山なす波に、とうとうひっくりかえってしまいました。乗り組員はすべて、死体となって西島の南岸“オドモ”の浜に流れついたといわれています。

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