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更新日:2012年10月1日
いまから、およそ千三百年ほど昔、この地方の豪族〈ごうぞく〉に牧夫長者〈まいぶちょうじゃ〉という人がありました。そのころ都では、蘇我入鹿〈そがのいるか〉という豪族が大きな力を持っていました。しまいには天皇と同じくらいの力をもつようになりました。中大兄皇子〈なかのおおえのおうじ〉や中臣鎌足〈なかとみのかまたり〉は、こういう蘇我氏をほろぼして新しい政治をしようとひそかに計画していました。
ある日、牧夫長者の屋敷〈やしき〉に都からのお触〈ふ〉れがきました。蘇我入鹿を征伐〈せいばつ〉するから都へ集まれという朝廷からのお召しです。牧夫長者は、家来を引き連れて都へ上りました。そして、戦いに参加しててがらをたてました。何か月かの後、なつかしい郷里へ帰ってきました。
留守をしていた人たちは、村境まで出迎えにきていました。その夜、主人が帰ってきたので、祝いの酒盛りがはじまりました。その時、一番目の家来が長者に、
「長者が戦いに行っておられる間に、わたくしは、獲物〈えもの〉のたくさんいる狩り場を見つけております。あすの朝、夜があけると狩りに行きませんか。」狩りの好きな長者は、さっそく
「それはよかろう、長い間狩りをしていない、たのしみじゃわい。」といって、よろこんで寝床にはいりました。
あくる朝、目がさめた長者は、家来といっしょに、いつもかわいがっていた白と黒の犬二匹をお供に、狩りに出かけました。だんだんと山深くはいり、がけの上までやってきました。
「ここに待ちぶせしているとけものが多く通り、かならずねらいうちができます。」
と家来がいいました。長者はがけのはしの方に寄って、谷間をみようとしました。すると後ろから、
「獲物〈えもの〉などいるはずがない、真赤なうそだ、実はあなたの命をもらいたいのだ。」と、弓に矢をつがえて今にも矢を放とうとしました。長者は、やっとだまされたことに気がつきましたが、もう間にあいません。家来は満足げに、
「あなたが都に上っている間にひそかに計画をたてて、わしがかしらになるように手はずがととのっているのだ。お気の毒だが、命はちょうだいする。」といいました。長者は今はこれまでと思い、
「ちょっと待ってくれ。」
といいながら、せめて犬にだけでも自分の気持ちを伝えたいと思い、二匹の犬をよび、まるで人間に話すように話しかけました。持ってきた弁当を開きながら、
「わしは主人でありながら、家来に殺されるのはなさけない、はずかしいことだ。しかし、こうなる運命であったのだからしかたがない、あきらめる。ただひとつお願いがある。それは、わしが殺されたあと死がいを何ひとつ残さないように食べてくれ。主人が家来に殺されたとなると人びとに笑われる。」と何度もいい聞かせました。
そして目をつぶろうとした時、主人のことばがわかったのか、一匹の犬が「ウォー。」とさけび声をあげて家来の引きしぼった弓の法〈つる〉にかみつきました。すかさず、もう一匹の犬が、家来ののどにかみつき殺してしまいました。長者はあまりのできごとに、しばらくはぼんやりとしていました。長者はやっと気をとりなおし、二匹の犬の首をだきかかえました。
家に帰った主人は、悪だくみをした家来たちを罰しました。そして一族の人たちをよび、
「わしは、この二匹の犬のために命を助けられた。わしには子どもがないのでこの犬を子どもにする。財産はすべてこの二匹の犬のものだ。」といいわたしました。
そうして二匹の犬をますますかわいがりました。何年か過ぎて、犬が死にました。その犬の霊をなぐさめるために、北の方の山に寺を建てて供養〈くよう〉しました。その時からこの寺を犬寺とよぶようになりました。現在も犬寺(法薬寺〈ほうらくじ〉)とよばれて、長者が住んでいたという土地の北の方の山の中にあり、人びとの信仰の厚い寺です。
(大河内町)
また、このうちの犬の一匹が、長谷〈はせ〉の地で死んだので里人たちは、この忠義な犬のためにりっぱな犬の塚を作りました。そして、小さなお堂を建てていつまでも語りつぎました。今でも犬見川とか、犬に関係のある名のついた土地がたくさんあります。
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