• お問い合わせ
  • 文字サイズ・色合いの変更
  • サイトマップ
  • 携帯サイト

メニュー

ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > 埴〈はに〉の里〈さと〉(大河内町)

ここから本文です。

更新日:2012年11月26日

埴〈はに〉の里〈さと〉(大河内町)

むかし、むかし大汝命〈おおなむちのみこと〉と少彦名命〈すくなひこのみこと〉の二人が、日本の国を治めておられたことがありました。
大汝命は、「日本一の力もち」といわれた大柄〈がら〉な男で、いっぽうの少彦名命は、反対に、からは小さかったが、動作が機敏〈きびん〉で、しんぼう強さでは抜群〈ばつぐん〉でありました。二人は、大の仲よしでありました。
二人については、たくさんのことが語り伝えられていますが、ここに書くのは、そのうちでも一番ゆかいな話です。

少彦名命が大汝命にいいました。
「埴〈はに〉(赤土のねんど)の荷〈に〉を背負って遠くへいくのと、うんこ・・・するのをがまんして遠くへいくのと、おぬしなら、どちらを選ぶ。」
大汝命は、わらっていいました。
「おれなら、うんこ・・・をがまんするほうをとるな。」
少彦名命は、すかさずいいました。
「じゃあ、きょうそうするか。」
「よしやろう。」
小男の少彦名命は、ずっしりと重い埴〈はに〉の荷〈に〉を背負って、よたよたと歩きはじめました。大汝命は、にやにや笑っていいました。
「荷物を背負うた男と、何も持たずに旅をするのは、よいものだな。」
少彦名命は、まっ赤な顔をして汗を流していましたが、大汝命はおおまたで、ゆったりと歩いていきました。
何日か旅をしつづけて、神崎郡までやってきたとき、少彦名命の顔は汗でよごれ、日に焼けてまっ黒になっていました。が、大汝命はまっ青になり、ひたいからあぶら汗をたらしていました。
大汝命は、とうとうしんぼうしきれなくなり、道ばたの草むらのなかへかけこむと、いっ気に思いをはらしました。あまりの勢いに、うんこはささの葉にはねとばされて、とびちって石となり、つもって山となりました。はじか・・・野村はこうしてできました。
それを見ると、少彦名命も、背負いつづけてきた埴の荷を、道ばたに投げすてました。赤土はかたまって埴の里ができました。
大汝命と少彦名命は、手をとりあって、「あっははっは。」と、笑いころげました。

お問い合わせ

情報管理部広報係

電話番号:078-331-9962

ファクス番号:078-331-8022