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更新日:2012年6月1日
今から千四百年ほど前、夢前川〈ゆめさきがわ〉のほとりに才〈さい〉村という村がありました。
この村の西の山のふもとは、昼でもうす暗い森が茂り〈しげり〉村の人びとは近づくことを恐れておりました。
この森に魔性〈ましょう〉(まもの)が住んでいて、毎年、女や子どもの人身御供〈ひとみごく〉を供えないとあばれまわり、人びとに害をあたえ苦しめていました。
人身御供に供えられた若い女の人の泣き声は、この世の声とは思われない悲しい声で、いつまでも人びとの耳に残りました。村から若い女の人がひとりへり、また次の年ひとりへり、生きたまま供えられていきました。
あるとき、人身御供をことわると、魔性は怒り、夢前川の水が大きな音をたて、村一面水びたしになりました。
そこで村人たちは、泣く泣く女を人身御供として順番にひとりずつ供えておりました。
この悲しい話をお聞きになった書写〈しょしゃ〉の性空〈しょうくう〉上人は、何とかして人びとの悲しみをなくしてやろうと思い、お供〈とも〉に犬をつれて才村にやってこられました。上人は、この村に入り魔性消滅〈ましょうしょうめつ〉のお祈りをしました。その声が静かな森の中にひびき、それが、あたかも人身御供として供えられた女の泣き声とも聞こえ、また村人たちの別れの悲しみの声とも聞かれました。
お祈りがはじまって三日目の夜、いつものとおり性空上人と犬が広場にいると、急に森がざわめき何かが苦しんでいるような地ひびきがおこり、森をふるわせました。上人のそばに坐っていた犬が、急に見えない敵に向ってはげしくほえたてました。けたたましいあたりのようすの中で、性空上人のお経〈おきょう〉の声は静かにひびき、ときには何かを悟す〈さとす〉ような声にかわり、またときには村人の悲しみを伝える怒りの声に聞こえ、森の奥深くまでとどくよう続いています。
森のざわめきはますます大きくなり、魔性の苦しみはいちだんとはげしくなってきました。その叫びは大木をゆるがし、あたかもあらしの夜のごとくあれくるいました。
しかし、上人の声は少しもかわらず、静かに長くひびいています。
とつぜん、暗やみの中に、らんらんとかがやく目をした魔性が現われ、はげしい息づかいをしながら上人に向って飛びかかろうとしました。そのとき、すばやく上人のお供の犬が、その魔性めがけてとびかかりました。大きな魔性と小さな犬のはげしい争いが、暗やみの森の中でくりひろげられました。
上人のお経の声は、あいかわらずひびいています。
この争いは、一時間ばかり続いたでしょうか。
急にはげしいあらしもやみ、もとの静けさが森にかえってきました。あらしがやむと、上人を心配した村人たちが、手に手にたいまつをかざし、森にはいってきました。
森の中で村人たちが見たものは、まわりに飛び散り池のようになった血の海と、そのまわりではげしく戦った、上人のお供の犬の姿でした。犬はぐったりとなって横たわっていました。そして、池のようになった血の海からは、血のすじが点々と山奥に続いています。
「犬が戦って勝ったのだ。そうだ、犬が魔ものをたいじしたのだ。」と、村人たちは口々に叫びました。
上人のお供の犬も、安心したように静かに目をとじて、息を引きとりました。
それからは、才村に魔性が現われることもなくなり、平和な村となりました。村人たちは、この村を救った勇気のある犬を、手あつくほうむって「犬塚」を建てました。
もう一つの話
書写〈しょしゃ〉の性空〈しょうくう〉上人は、京都の人でありますが、一説に才の則直〈のりなお〉の生まれといわれ、則直に寺を建てようとしましたが果たせず、ついに書写山に円教寺〈えんきょうじ〉を建てられました。則直には慶雲山満乗寺〈けいうんざんまんじょうじ〉という別の寺を建てて残されました。
その寺に、たいへん賢い〈かしこい〉犬がいて、書写山と別寺の間を手紙をもって往復〈おうふく〉しました。村人たちは首に手紙をつけた犬が書写山に向って行くのを見て、「ほんとうに賢い犬だ。」「人間より賢い犬だ。」といっていつもほめておりました。その犬も年をとり死んだので、村人たちは田の中に塚をつくり、「犬塚」として長く祭りました。
このことがえんになって毎年、才から米五斗を書写山に奉納〈ほうのう〉し、書写山西坂観音寺からは、毎年六月一日に、氏宮日吉〈ひよし〉神社にきてお経をあげることにしています。
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