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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > 飾磨〈しかま〉の清水薬師〈しみずやくし〉(姫路市飾磨区)

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更新日:2013年1月28日

飾磨〈しかま〉の清水薬師〈しみずやくし〉(姫路市飾磨区)

姫路市飾磨〈しかま〉に清水山東光院〈しみずさんとうこういん〉という真言宗〈しんごんしゅう〉のお寺があります。このお寺の境内〈けいだい〉の北に霊水〈れいずい〉(とおとくふしぎな水)がわきでています。どんな日でりのときでもこの水がへることなく、またどんな大雨にでも一定の量〈りょう〉の水をたたえている、美しい井戸水のわきでる清水〈しみず〉です。「飾磨〈しかま〉の清水〈しみず〉」というのはこれです。この清水にまつわるいいつたえがあります。

むかしむかし、この地の長者〈ちょうじゃ〉に一人の男の子がありましたが、あるとき大へんな難病〈なんびょう〉にかかりました。長者のことですから、どんなにお金がかかってもよい、なんとかしてこの子を助けてやりたい、と、あちらこちらのよい医者〈いしゃ〉をよび高い薬〈くすり〉をのますなどいろいろと手をつくしました。けれど、どんなに手をつくしても、そのききめはあらわれません。そこで「薬師如来〈やくしにょらい〉」をおまつりしてあるお堂にたてこもって、一生けんめいにおいのりし「どうかお薬師さま、この子をおすくいください。」といのりつづけました。と、ある夜の明け方、夢うつつの中にひとりの白髪〈はくはつ〉の老僧〈ろうそう〉が、瑠璃〈るり〉の宝のつぼを持ってあらわれ、金色〈こんじき〉の光を放〈はな〉って長者の病気の男の子をてらし、宝のつぼから薬水〈やくすい〉をほどこしました。さしもの難病も、たちまちに全快しました。長者は「これはなんとありがたいことか。」とお堂のかたわらをみますと、そこに美しい霊水が、にわかに滝〈たき〉のようにわき出ていました。長者は、これこそお薬師さまのお力によるものと思い、そののちねんごろにこの薬師如来をおまつりしました。

ところで、この霊水の井筒〈いづつ〉(井戸の上をとりまいたかこい)は、ひとつの大きな石をくりぬいてできたものです。これは、もともと亀山本徳寺〈かめやまほんとくじ〉にあった井筒です。亀山本徳寺は、もとは英賀〈あが〉の地にありました。英賀の地は、豊臣秀吉によって姫路城がつくられ、姫路の町なみができる前は、ここに英賀三木氏がおり、英賀城を中心にたくさんのお寺が建てられ、町なみもつづいたりっぱな城下町でした。この町の中に本徳寺もあったのです。ところが秀吉が、中国征伐〈せいばつ〉の途中〈とちゅう〉に播磨〈はりま〉を征服〈せいふく〉するために、この英賀城もせめました。そのため本徳寺のこのときの僧の実円尊師〈じつえんそんし〉が、天正〈てんしょう〉八年(一五八〇)に、いまの亀山〈かめやま〉の地に本徳寺をうつしました。そのときに、英賀のお寺の境内にあったいろいろな品物を亀山に運ばせました。その中にこの井筒もあったのです。この荷物は、大へんなかずだったので、たくさんの人夫が、大へん苦労をして運びました。そのため人夫たちは、薬師の前へくるとみんないっぷくして、この清水で手を洗い、のどをうるおして亀山へ向いました。しかし、井筒を運んでいる車だけは、亀山へいこうとすると、どうしても動きません。それどころか前よりもずっと重くなっていて、何人かかってもびくともしません。あまりの不思議さに、人夫たちは亀山の本徳寺へ報告しました。実円尊師〈じつえんそんし〉も不思議に思われて、いろいろと相談をされ、またこの清水についてのいい伝えやうわさ話なども考えられて、この井筒は亀山に持って帰るべきものじゃなく、この霊水におくのが一番よいと思われて、この薬師寺にきふされました。

また薬師如来さまのおそばに立っておられる役目の「優姿塞〈うばそく〉」は、むかし飾磨の海に沈〈しず〉んでいて、まいばん海の中で光を放っていました。漁師〈りょうし〉たちは、漁業〈ぎょぎょう〉にさしさわりができて魚が取れなくてこまっていました。そこで漁師たちは、「これはこまったことだ。」といってここの清水の薬師如来さまにお祈りいたしました。するとある夜、この薬師堂のお坊さんに「海の底に沈んでいられる仏さまを救いあげたなら、その徳によって村中へは伝染病〈でんせんびょう〉をいれない。」というお告げがあって夢がさめました。お坊さんは「これは何とありがたくおそれ多いことか、さっそく村人にこのことをつたえて仏さまを海からお救いしておまつりしなければならない。」といって、このことを村人につげました。村人たちはさっそく網を引いてあげてみますと、それは木の仏さまでした。人びとは大へんおそれ多く思いこの薬師堂の薬師如来のかたわらに安置〈あんち〉して、ねんごろにまつりました。この当時、今の姫路市では伝染病が大流行して、どの家もどの家も病人が枕〈まくら〉をならべてねていたというのに、飾磨の清水の付近にはひとりの病人も出なかったといいます。これは村人たちが、この仏さまを海から引きあげて、薬師如来とともに、ねんごろにおまつりをしたためと人びとは信じて、そののちはいっそうあつく信心したということです。

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