ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > おなつ(福崎町)
ここから本文です。
更新日:2013年1月28日
西光寺野〈さいこうじの〉にしっぽの太い、大きなきつねがすんでいました。女にばけるのがうまいので、おなつとよばれていました。
そのころ西光寺野は、まだきり拓〈ひら〉かれる前で、いちめんの松林のなかに、すすきが生〈お〉い茂っていてそのなかを細い道が通っていました。夜おそくこの道を通った村の衆〈しゅう〉で、おなつにだまされないで帰ってきた者はいませんでした。
よめどりによばれて、夜中がすぎてから帰っていた若い百姓は、かんざしをさした娘が、道のそばに立っているのにであいました。こんな夜おそく何をしているのだ、というと、げたのはなおが切れて帰れなくてこまっているというのです。正月と村のお祭りにしか着ない、一張羅〈ちょうら〉の着物を着て兵古帯〈へこおび〉をしめていた百姓は、娘がかわいそうだと思って、兵古帯のはしをさいて、はなおをすげてやりました。娘は何度もお礼をいって帰ってきました。
あくる日になって、このことを家の者にいうと、家の者はみんな、おなつにだまされたのだといいましたが百姓は、それでもまだ、ほんとうに困っている娘をたすけてやったと思っていました。帯のはしは、たしかに昨夜切りさいたままになっていました。
しかし、あまりに家の者がだまされたというので、おこった百姓は、ゆうべ、はなおをたててやったところへいってみました。すると、そこに桐〈きり〉の木が一本立っていて、その下に兵古帯〈へこおび〉のはしをゆわえた桐の葉が一枚落ちていました。
また、ある時、たてまえによばれた大工が帰っていると、道ばたに若い女がしゃがみこんで、しくしくないていました。わけをきくと、おなかがいたくて、歩くことも何もできないといいます。松林をぬけたところに家があるというので、背中に負うて、つれていってやりました。
家というのは、門のあるりっぱな家で、家の前までくると、女はすっかりよくなったといってあがってあそんでいけといいます。大工は、こんなりっぱな家にあがるのははじめてなので、あがらせてもらってお茶をよばれたり、双六〈すごろく〉をしたりしてあそんで帰ってきました。
あくる日になって、どうもおかしいと思い、大工がきのう着て帰ったはっぴをしらべてみると、背中にきつねの毛がいっぱいくっついていました。
きれいな娘や、若い女の人にばけるというので、村の若い衆のなかから、一度だまされてみたいという者があらわれました。若い衆は、きつねずしのべんとうをこしらえ、徳利〈とっくり〉に酒をいれて、夜がふけるのを待って松林のなかへ出かけていきました。
松林のまんなかどころに大きな松の木があります。その木の下でべんとうをひらいて、酒をのんでまっていましたが、いつまでたっても、女の人はあらわれません。あほらしくなって、もう帰ろうと思い、べんとうをしまおうとすると、いつのまにかべんとうがなくなっていました。さすがの若い衆もぞくっとして、あわてて走りだそうとすると、うしろから手をつかまれました。ふりむくと、ふろからあがったばかりの島田〈しまだ〉にゆった女が立っています。
若い衆は女にいわれるままに、はだかになってふろへはいりました。からだのしんまであたたかくなり、何ともいえないよいお湯でした。ふろからあがって、若い衆は、女の人のもてなしをうけました。おわりに、女はぼたもちを出しましたが、あまりにおいしいので、こんなうまいぼたもちは、いままで食べたことがないというと、それならおみやげに持って帰ってください、といって竹の皮につつんでくれました。
あくる日の朝になってみると、田んぼのこえつぼのそばに、じゅばんとふんどしがぬいだままになっており、竹の皮のぼたもちは、牛のふんでした。
お問い合わせ