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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > ふしぎな砥石〈といし〉(姫路市)

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更新日:2012年11月26日

ふしぎな砥石〈といし〉(姫路市)

むかしむかし、それはもう、ずうっとむかし、そう、かれこれ千数百年も前のことでした。
播磨のこの地にも、人が住みつきはじめました。そしてそのころ、出雲〈いずも〉(島根県)の人が大和〈やまと〉(奈良県)へいき、河内〈かわち〉(大阪府)の人が備前〈びせん〉(岡山県)をおとずれ・・・というぐあいに、人びとのゆききは、だんだん広がってきていました。ところで、播磨地方の、姫路の東よりに、北から南へ、大きな川が流れていました。長雨の季節には水があふれ、土地の人びとはとてもなんぎをしました。
“そうだ、この川岸に堤〈つつみ〉をつくって、水害をふせごう。川ぞいに一すじの道をひらいて、人びとのゆききを便利にしよう。”
そういう計画がたてられました。川ぞいの荒れ地は、たいへんかたい土でした。土地の長者の命令で、それぞれに、すき・・くわ・・をもって仕事にくるようにと、村人たちはかり出されました。けれど、だれひとりとして、本気ではたらこうとはしませんでした。
「こんな荒れ地に道をひらくなんて、考えただけでも気がとおくなる。」
「すきやくわがいたむだけ、おらたちの損だよ、ぶらぶらして、はたらくふりをしてりゃあええ。」
やっと土地におちついて、農作をはじめていた人びとにとっては、何よりも、すきやくわは貴重品〈きちょうひん〉でした。大切なすきやくわをいためては、かんじんの自分の畑をたがやすことが、さっぱりです。人びとがそんなぐあいにぐずついているので、工事のほうは、いっこう、はかどりそうにありません。
ひとりの若者がいました。若者はおもいました。
(川の水をふせぐために、堤をきずくのは大事なことだ、水があふれては、せっかく耕やしたじぶんの畑も流されてしまうものなあ、みんなは、まあ、じぶんの畑だけは、めったなことはなかろうなどと考えているけれど、だれの畑だって、不幸にはかわりはないものなあ、―それに、道をひらくのはいいことだ、となりの国や、まだまだ遠い出雲や、もっとむこうの国から、おれたちの知らない、いろいろな生活のちえや工夫をとりいれることができるんだもの・・・)
若者は、希望にみちた目をして、土地をひらきつづけました。川の水がしろくひかりはじめる朝から、星のひかりが流れにうつりはじめる夕方まで、この若者だけは、せっせとはたらきました。若者は、このしごとの価値〈かち〉を、はっきりと感じていたからです。

夕ぐれでした。丘のいただきに、月がのぼりました。ほのかにあかるい月のひかりです。そのなかで、若者のくわが、かちんと何かをほりあてました。
「おやあ?」
若者はしゃがんで、それを手にとってみました。なめらかな、重い石でした。月のひかりに、石の表面はみがかれたように光っていました。
「こりゃあ、砥石〈といし〉だ、きっと、そうだ。」
若者は、川っぷちへ行って、ざぶざぶとくわ・・を洗い、この砥石〈といし〉でといでみました。くわはまたたくうちにとぎ上げられました。くわの刃はさえざえと月あかりに光りました。若者はにっこりしてくわを使ってみました。なんという掘りごこちのよさでしょう!若者は、ほくほくして、その砥石をみつめました。
「あいつ、ふしぎな砥石をほりあてたそうだぜ。」
「いいこと、しやがったなあ。」
うわさは、ぱあっとひろがりました。いままで、なまけて、はたらくふりばかりしていた村人たちは、目の色をかえました。心のきれいな若者は、だれにも惜しまず、その砥石をかしてやりました。でも、村人たちはそれでは満足しませんでした。みんな、じぶんもあんな砥石を手に入れたい、掘りあてたい、と思うのでした。そこで、村人たちはせっせと働きはじめました。また、どこかから、ひょっこり砥石が掘り出されるかも知れない・・・。砥石は、なかなか、あらわれませんでした。しかし、工事はすっかりはかどりました。川ぞいの堤はみごとに築かれ、すばらしい道がひらけました。この道はやがて、出雲へ通じる重要な道となりました。こうして遠い国々の文化が、この播磨の国へも、はいってくるようになりました。

ところで、あのふしぎな砥石は、二つ目をほりあてた人はだれもいませんでした。そして、若者はそれを大切に使っていましたが、若者の死んだあと、その砥石はなまり色の土くれになってしまったということです。姫路市の東北、砥掘〈とぼり〉という所が、その砥石を掘りあてたところといわれています。

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