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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > 山田の蛇塚〈へびづか〉(姫路市山田)

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更新日:2012年11月26日

山田の蛇塚〈へびづか〉(姫路市山田)

播磨〈はりま〉平野の一角、姫路市山田町に、戦国の勇将〈ゆうしょう〉赤松氏の家臣後藤〈ごとう〉一族の南山田城〈じょう〉があり、今も城山と呼ばれ、附近一帯は児童公園となり、憩〈いこ〉いの場として広く人びとに親しまれています。

城主の後藤一族は代代武勇のほまれが高く、まわりの武将たちからも恐れられていました。大阪夏の陣に大活躍〈かつやく〉をして討死した後藤又兵衛基次〈ごとうまたべえもとつぐ〉も、少年時代はこの城で育ったといわれています。
この城山の北がわすぐ下に、一族の武士たちが集まって弓矢の業〈わざ〉を磨〈みが〉いた射場〈いば〉がありました。そのころ南山田の里にときどき大蛇〈だいじゃ〉があらわれて村人や牛馬をおそい、また農作物を荒して村人を苦しめていました。大蛇は身のたけ五メートル以上もあり、大蛇の通ったあとは、農作物はひきちぎられて赤土を掘りおこし、百姓のすみかや馬ごやも、あちらこちらで押しつぶされるさわぎでした。村人たちは夜もゆっくり眠ることができず、昼も大蛇を恐れて仕事に手がつかず、田畑に出ることを恐れました。

このようすをまのあたりに見た後藤一族の武士たちは、自分たちの中で大蛇たいじをしようと話しあって大蛇狩りをしましたが、なかなか見つかりませんでした。その年のむし暑い夏の一日、数人の武士たちが射場に出て弓の練習をしていると、急に村里がさわがしくなりました。村人が大勢口々に叫びながら城山の方にかけ登ってきます。
「大蛇が出た。」
「池田に大蛇が出た。」
とさわいでいるのです。弓に自信のある後藤某〈ぼう〉が、小高い岩の上にかけ登ってはるか池田の方を見ると、すすきをなぎたおし、水田をおしつぶして、一匹の大蛇が村人のあとをおうようにして池田の方角から城山に向ってきます。後藤某はこれは一大事と、すばやく手にした弓に矢をつがえ、「なむ八弓矢八幡大菩薩〈ぼさつ〉、わが念力〈ねんりき〉で大蛇を討ちとらせたまえ。」と、心の中で念じながら、満月のように引きしぼった一の矢をねらいすませてひょうと射ました。矢はうなりを生じて飛び、ねらいたがわず大蛇の右の目にぐざりと命中しました。二の矢は左の目に、三の矢は大蛇の心臓に命中し、さしもの大蛇もすっかり弱って動かなくなりました。
大蛇があまりにも大きいので、頭と尾の二つの部分に切りさいて、別々の塚にねんごろにほうむりました。これが今も城山のふもとに残っている蛇塚だといわれています。

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