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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > かにどん蜂〈はち〉どん(姫路市飾磨区)

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更新日:2013年1月7日

かにどん蜂〈はち〉どん(姫路市飾磨区)

かにの話になると、ほら、“さるかにがっせん”いまでは“かにむかし”というのがのこっています。でも、ここでは、それににたようで、ちょっくらちがっているのです。

かにの大将が、ズックラ、ズックラおおぜいの小がにをつれて、海のふちをあるいていました。
すると、どこからか“ブウーン”と、蜂〈はち〉がとんできました。
「かにどん、かにどん、どこへゆきやるんや?」と、蜂がいいました。
かにの大将は、ふとふりむいて、蜂をにらみかえしました。
「なんとまあ、おっそろしい(こわい)顔をしていることわいな。」と蜂は、ひとりごとをいいました。
けれど、かににはきこえません。
このかには、うしろからみればそんなでもありません。でも前からみると、とってもこわい顔なので、蜂はぶるぶるふるえました。おとものかにがかわいそうに思って、かわりにいいました。
「壇〈だん〉の浦〈うら〉(瀬戸内海にある)へ、かたきうちに。」
そういってからこんどは、蜂にききかえしました。
「ハチどん、ハチどん、お腰にさしたは、そりゃ、なんじゃいな。」蜂が小がにを見ると、おそろしい顔かたちをしているかにばかりでしたが、その中に、たった一匹だけそうおそろしくない顔かたちのかにがいて、それが、ひのき・・・の皮でつくった扇〈おおぎ〉をはさんでいました。
蜂は、そのひのき扇のかにをみて、
「腰にさしたのは、こりゃ、わしの命をまもる針でござる。」
と、いいました。すると、ひのき扇〈おおぎ〉のかには、
「毒があるんか、ないんかな。」といって、ひのきの皮の扇で、蜂をあおぎました。それで蜂は、ひのき扇にふっとばされて、どこかへとんでいってしまいました。

平家がに
文治〈ぶんじ〉元年(一一八五)二月、源義経〈みなもとよしつね〉(牛若丸の成人してからの名)は、源氏の大将となって平氏を屋島〈やしま〉にやぶりました。
三月には、源氏と平家の両軍が壇〈だん〉の浦〈うら〉でたたかいました。このたたかいで、源氏は平氏をほろぼしてしまいました。この二か所のたたかいで、屋島の海や壇の浦で戦死した平氏のさむらいたちの、うらみの、たましいはかに・・となりました。
今も、長門〈ながと〉の赤間〈あかま〉や、屋島、壇の浦におそろしい顔かたちのかにがすんでいるのは、うらみをのんで死んだ、平家一族の子孫だとつたえられています。なんとおそろしい、人間のうらみの顔をしている平家がにでしょう。
このごろも、まだ怨霊蟹〈おんりょうがに〉(うらみをもったかに)の問題は、世界的にやかましく研究されています。
はたして、遺伝学的(親から子、子から孫へつたわること)なものだろうか。このかにの分布が、日本では、平家がに、武文〈たけぶん〉がに(摂津大物浦〈せっつだいもつうら〉)島村〈しまむら〉がに(摂津安里〈やすざと〉河)などとなっています。東洋の海に、これに似たかにもたくさんいて、系統的に研究されていますが、このふしぎな顔かたちのわけはわかっていません。
このかにどん、蜂どんのむかし話は、日本の西のほうで語りつがれていますが、姫路の浜べにもあったということです。

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