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更新日:2012年6月1日
夏も終わりのころのある日、ひとりのこむ僧〈こむそう〉が、いざさ川にそうて、生野街道〈いくのかいどう〉を上ってきました。たいそう暑い日でありましたが、道々尺八〈しゃくはち〉をふいてたく鉢〈たくはつ〉を受け、夕方になって大山につきました。
大山では地蔵堂〈じぞうどう〉で一夜をあかすことにして、旅のよそおいをといたのです。
東西に高い山がせまり、せまい山間にある大山では、夕方になると、山から冷気〈れいき〉がおりてきていちどに涼しくなります。こむ僧は旅の疲れもわすれて尺八をとりだすと、得意の曲をふきはじめました。田の草とりや山の下がりから帰ってきた村人は、山あいを流れてくる美しい尺八のしらべをききました。
夜にはいって満月が上がってきました。黒々とした山がせまり、いざさ川のさざ波にうつる月はこがね色にくだけています。静かな山里には、川のせせらぎの音だけがひびいています。
こむ僧は地蔵堂を出て、川ぶちの岩の上に立って無心に尺八をふきました。いくらふいてもふきたりないようにおもいました。月は中天にさしかかっています。すんだ尺八の音とともに、身も心もさえわたっていきました。
しばらくしてこむ僧は、地蔵堂に帰って横になり、旅の疲れでいつのまにか眠ってしまいました。
こむ僧は、ふと人の気配〈けはい〉で目がさめました。しようじの外は昼のように明るい。しようじをあけてみると、背のたけのすらっとした髪の毛の長い、若い娘が立っています。こむ僧はふしぎに思って、「旅の方ともお見受けしないが、この夜中にいかがなさいましたか。」とたずねてみました。
「わたしはこの近くに住んでいる者ですが、あまりに美しい尺八の音を聞きましたので、家を出てあとについてまいりました。いままでに、こんな美しい曲をきいたことはありません。もう一曲おききしたいのですが、申しあげかねますので、このまま帰ります。」そういって、帰ろうとしました。
「それは、大へんうれしいことをおっしゃる。こんな山奥で、尺八の音の美しさをききとってくださる方がいるとは思ってもみませんでした。こんなうれしいことはありません。どうか、おあがりください。」といって、地蔵堂に娘をまねき入れて、明暗流の一曲を奏して〈そうして〉きかせました。
娘は帰るとき、「かくしておりましたが、わたしは川の主〈ぬし〉で、本性は蛇〈じゃ〉なのです。このことは決してだれにもいわないでください。」といって、音もなく出ていきました。
こむ僧は、夢ともうつつともきめかねて、しようじをあけて外を見ました。冷たい月の光の下で、いざさ川のさざ波が白く波立っいるばかりでした。
あくる朝になっても、こむ僧は起きてきません。
村人がふしぎに思ってたずねてくると、こむ僧は高熱におかされて、起きることもならず、寝ついていました。村人は、水で頭を冷やしたり、薬草〈やくそう〉をせんじて飲ませたりしましたが、熱はいっこうにさがりません。
こむ僧は何も話したがりません。村人たちは、ほどこすすべもないまま、なぜこんなことになったのかを話すようにせまりました。こむ僧は、なおもだまっていましたが、とうとうこらえきれず、娘との約束を破って、昨夜のことを話しました。
話しおわるかおわらないうちに、いままで一点の雲もなく晴れわたっていた空が、にわかに真暗にかき曇ったかと思うと、いなずまが光り、かみなりがとどろき、たきの水をきっておとしたように、ごう雨〈ごうう〉がふりはじめた。雨水は山をかけくだり、田や道にあふれ、いざさ川は見る見るうちに水かさを増していきました。
村人は家財〈かざい〉をもって難〈なん〉をさけ、地蔵堂の地蔵ぼさつも安全なところに移しました。
やがて、天地にとどろくようなごう音〈ごうおん〉とともに、地蔵堂のあたりの大地が大きくさけ、一瞬〈いっしゅん〉にして地蔵堂は地底ふかく呑みこまれて〈のみこまれて〉しまいました。
悪夢のようなごう雨があってから数年たって、村人たちは、地蔵堂を再建〈さいけん〉して、地蔵ぼさつを安置〈あんち〉しました。いまの大山の地蔵堂がそれで、またの名をゆりこみ堂ともいいます。
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