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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > 堂崎〈どざき〉に住んだ仙人〈せんにん〉(家島町)

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更新日:2012年12月17日

堂崎〈どざき〉に住んだ仙人〈せんにん〉(家島町)

むかしむかし、どざき(堂崎―観音崎ともいう)に、通力〈つうりき〉をそなえた仙人〈せんにん〉が観音寺〈かんのんじ〉をたてて住んでいました。
仙人が、この家島に、いつごろどこからきたものか、それを知った人はいません。きくところによると、紫〈むらさき〉の雲にのせられて、ここに移り住んだ老人だということでした。
家島に移りわたってきた仙人は、毎日毎日、島内を歩いて、病人があれば“引起草〈ひきおこしそう〉”をやったり、養生〈ようじょう〉のしかたを教えていました。また家人〈けにん〉たちに、山野に出ることをすすめ、薬草〈やくそう〉の採集〈さいしゅう〉などを教え、島民からは「生き仏」としてうやまわれていました。仙人は、島内を思うまま自由に歩いていました。
とはいえ、食べ物の布施〈ふせ〉を好まず、いつも空腹をかかえたまま、修業〈しゅぎょう〉に修業を重ねていました。

ある日、仙人がいつものように、島内をまわって堂崎へ帰ると、目の前に御城米〈ごじょうまい〉をいっぱいつんだ船を見ました。
仙人は矢も楯〈たて〉もたまらず、さっと身のまわりにある鉄鉢〈てつばち〉を出し、全身の力で、それを御城米船に向って投げとばし「お米がほしい。」とさけびました。
こちらは、船の中。のんびりと追い風に帆〈ほ〉をかけ、小唄〈こうた〉まじりに旅をしている連中〈れんじゅう〉。とつぜん前にふってきた鉄鉢に舵〈かじ〉もつ船頭〈せんどう〉はびっくり仰天〈ぎょうてん〉。
「何だこれは、ほほう、鉄の鉢?話にきいてた堂崎の仙人のものか、腹もすいてるとみえる、ようし、ひるに食べのこした鰈〈かれい〉を入れてやろう。」と、かれい・・・を入れました。と、鉄鉢は、たちまち、くるくるっと風に舞いあがり、さっと海中に落ちていきました。鉢の中のかれい・・・を洗い落した鉄鉢は、ふたたび中空に舞い上り仙人の手に帰ってきました。それをみた船人たちは、「あれよ、あれよ。」とさわぐ間に、耳をつんざく雷鳴〈らいめい〉とともに、一天にわかにかき曇り、御城米を積んだ船はみるみる沈没していきました。もちろん、乗っていた人も全員死んでしまいました。しばらくして波立つ海面が静かにになり、夕焼の空をうつして黄金色にきらめきはじめたとき、仙人の鉄鉢が舞い上ってきたと思われるあたり、大きなめだか・・・(といわれるかれい・・・の一種)の頭がつき出ていたということです。
そのことがあってから仙人は、家島に見切りをつけ、ふたたび紫の雲を呼んで播磨灘〈はりまなだ〉をとびこえ網干〈あぼし〉にわたり、朝日山に移り住んで、観音寺〈かんのんじ〉をたてたのでした。その観音寺にまつられた千手〈せんじゅ〉観音像が家島から持ちかえられたものだそうです。

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