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更新日:2012年6月1日

百町田(神崎町)

猪篠〈いざさ〉は山の中の村です。
白岩山の山すそをはいあがっていくように通っている道が、しだいに高くなったところに立って四方を見ると、西には大きなかべのように高い山が立ちはだかっているし、南から東にかけて馬の背のように山が連なっています。この道をもうすこしいくと、山の出っぱったところにさしかかります。ここをむかしから“こじきがえし”とよんでいます。

細く長い道をのぼりつめてここまでくると、もうこれからおくには村などあるはずがないと思い、こじきでもひきかえしていくといいます。
ところが、奥猪篠〈おくいざさ〉の部落は、ここから一段と急になっていく道を、もっともっとのぼっていったところにあります。
こういう山にとりかこまれた村にも、百姓をしてくらしている人たちが住んでいました。茂作〈もさく〉もそのひとりでした。

ある夏の日、茂作は、死んだおとったん(おとうさん)に供えるお盆の花をとりに山へいったとき猪篠の村が見おろせる頂上に腰をおろして、村を見おろしていました。松の木の影になっている茂作の腰をおろしているところは、風がふきぬけてすずしかったのです。
目の下を谷川が流れています。その両わきに帯〈おび〉の幅ほどしかない田がつくられていて、田は川しもの方へいくに従って幅をひろげ、向かいの山のむこう側を流れている猪篠川と合流するあたりには、青い水田がひらけています。
茂作は、目の下の自分の村を見ながら、「田んぼが欲しい、田んぼが欲しい。」と、口ぐせのようにいっていたおとったんのことを思い出していました。いつまでたっても家が貧しいのは、田が少ないからだ。茂作はしんそこから田が欲しいと思いました。

茂作は、山すそを開こんして、田か畑をふやしていこうと決心しました。山すそのほかに開こんして田にできるようなところはなかったのです。それからは、雨や風の日も、雪の降る寒い日も、山すそで木を切り、木の株を堀りおこし、草の根をぬいている茂作の姿を見かけない日はありませんでした。ななめになっているところなので、石垣〈いしがき〉や土手をきずいて、田をならしていきました。このようにしてできる田は、三日月の形をしていたり、たんざくのように細長い田であったり、ときには、たたみ一枚か二枚しけるほどの小さい田しかつくれないときもありました。
いままで雑木〈ぞうき〉や草むらにおおわれていた山すそがきりひらかれ、新しく小さい田がふえていくにしたがって、茂作の心には、百まいの田を開こんしたいというねがいがうまれてきました。また、それがいつのまにか茂作の楽しみとなっていきました。茂作の開こんにはいっそう力が加わっていきました。

一年がまたたくまにすぎ、二年、三年とすぎました。石垣や土手をきずいてする山すその田の開こんは、下からだんだん上へすすんでいきました。
六年めにはいった秋の終りのころ、茂作が念願〈ねんがん〉としてきた百まいの田の開こんがやっとできあがりました。茂作は、いま開こんしおわった百まい目の田の上に立って、五年あまりかかって開こんしてきた田を見おろしていました。それらの田は、茂作の目の下に、列をつくるようにしてひろがっています。
秋の速い日は、すでに西の山に沈もうとして、赤く夕焼けています。茂作の心には、いいようのないよろこびがわきあがっていました。「田が欲しい、田が欲しい。」といっていたおとったんに見せてやりたいと思いました。茂作はありったけの声を出して叫びたくなりました。
茂作は、もういちど田の数を数えてみました。一番下の田からはじめて、だんだん上へ数えていきました。
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…。」が、どうしたことか、九十九しかありません。
「おかしいぞ。おれは、うちょうてんになって、数えまちがったにちがいない。もういっぺん数えてみよう。」もういちど、はじめから数えなおしてみました。しかし、やっぱり九十九しかありません。
「そんなはずはない。」茂作はあわてました。しかし、何回数えなおしてみても、九十九しかないのです。茂作の心はしだいに冷えてきました。

いつのまにか、夕日は沈んで、あたりはうす暗くなりかけています。茂作は泣きたい気持でしたがしかたなく、きょうはもうあきらめて帰ろうと思い、みのを取りあげました。なんと、そこに、みのの下に一まい田があるではありませんか。
「あった、あった。」
茂作はおどりあがらんばかりでした。茂作はよろこび勇んで〈いさんで〉家路〈いえじ〉につきました。
このことがあってから、茂作が開いた山すその田を、だれいうとなく、百町田〈ひゃくちょうだ〉というようになり、またの名を、みのかくし田ともいいます。

茂作は、これからあと、この百まいの田で精を出して米や豆やいもや野菜などをつくりました。
小さい田での米つくりやあぜまめつくりは、楽ではありませんでした。そして、茂作のくらしは、はじめに考えていたほどには楽にはならなかったのです。
いまは、もうだれもつくっている者はありません。しかし、山のすそに草にうずもれて、むかしの石垣や土手がのこっています。

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