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ホーム > 学校・授業の教材 > 『郷土の民話』中播編 > おことの足趾〈あしあと〉(家島町)

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更新日:2012年10月29日

おことの足趾〈あしあと〉(家島町)

むかし、むかし。この島に、どこからきたのか知る人のないおこと・・・と呼んだ大そう美しい娘が、人知れずバガ谷の洞穴〈どうけつ〉を住居にしておりました。島の人びとはそれを「バガ谷のばけもん」と呼んで、女、子どもの山入りをきびしくとめておりました。バガ谷の対岸〈たいがん〉の室津港〈むろつこう〉とは呼べば答える間〈あいだ〉がら、そこは播磨灘〈はりまなだ〉を同じ漁場〈りょうば〉とすることで仲よく、何をするにしても、手を取り合って、ほかの漁師たちからうらやまれておりました。そのことは今遺〈のこ〉っている“室〈むろ〉の浜〈はま〉”の地名のあることによっても知ることができます。

この室の浜に、室津〈むろつ〉の網元〈あみもと〉の一人息子松兵エが、仲よくしていた家島の人たちの好意〈こうい〉で、いわしの炒場〈いりば〉を作っていました。炒場にはたくさんの女手がいりました。
その中に、あの洞穴女のおこと・・・もいました。そのうちだれいうとなく、松兵エとおこと・・・の間に、変〈へん〉なうわさがたちはじめました。
うわさに、うわさが重さなると、二人の仲は、それに結びつけられたように、抜〈ぬ〉きさしならないまですすんで、かくれ家の洞穴は、ふたりの楽しい住家になりました。

そんな松兵エとおこと・・・の仲を、知ってか、知らずか、松兵エの親元では、室の浜の炒場〈いりば〉を引き揚〈あ〉げることになり、松兵エは家島から室津へ引きあげました。ことのなりゆきをおこと・・・に聞かせて、納得〈なっとく〉させばよかったのに、松兵エは何事も知らさず、ひそかに、そのまま室津港に引きあげようと船をこぎ出しました。
しかし、それを知って逆上〈ぎゃくじょう〉したおこと・・・は綱を持ち出し、全身に力をこめてかいくった綱を、松兵エの船をねらって投げ、力にまかせてたぐりよせようとしました。
ところが松兵エは、よせばよいのに鉈〈なた〉をとり出しふりあげて、綱をプッツリと切り落しました。女の腕とはいえ、死にものぐるいで張りたくっている綱が切りおとされたからたまりません。おこと・・・はその場にどんでん返えして死んでしまいました。

そのことがあってから不思議なことに、おこと・・・のふんまえた岩の上に、一念〈いちねん〉をこめたおこと・・・の足趾〈あしあと〉が深くきざまれて残りました。島の人びとは今もそこを“おこと・・・の足跡〈あしあと〉”と呼んで敬遠〈けいえん〉し、まんまと家島をぬけ出した松兵エは、今も室津港内に=生島=となってこりかたまってしまったといっております。古いことわざに“人の一念〈いちねん〉岩をもとおす”という言葉がありますが、そのとおりです。

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