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更新日:2012年11月26日

かめがふち(市川町)

美佐〈みさ〉山のおくのほうに、かめがふち・・・・・というところがあります。
しだ・・いわまつ・・・・の生えた岩をつたわって水が流れおち、その下がふかいふちとなっていて、ここから谷川が流れだしています。いねの葉もよじれるほど、やけつくようにあつい真夏の日でも、そこにはつめたい水があふれていて、あおくすんでいます。このふちの深さを知っている者は、だれもいません。

美佐山からすこしはなれたところに正七という若者がひとりですんでいました。
背のたかい、じょうぶな若者で、田にでて働いているときのほかは、わらぶきの家のなかにねころんで考えごとばかりしていました。
ひでりになって、田の水のとりあいがはじまると、正七は、田んぼへ出ていくことがすくなくなりました。正七の田はひびわれて、秋になっても、背のひくい、短いいねしかみのりませんでした。
正七は、いつもびんぼうでありました。
夜北(夜、北からふく風のこと。ひやけのときは、夜になると北から風がふく)がふいて、星のきれいなあるばん、正七はふしぎなゆめを見ました。
かめがふちからあふれでた水が、正七の田に流れこんで、田の草をとっている正七は、腰のあたりまで水びたしになり、水びたしになりながら、わらいこけているゆめでした。ゆめからさめても、正七の胸の鼓動〈こどう〉はとまりませんでした。
あくる日、正七はかめがふちへ、ひとりででかけていきました。
正七は、すいこまれるほどあおくすんだふちのそこをのぞきこんで、一日中、ふちのそばにしゃがみこんでいました。
夕方、正七がつかれて家にかえってくると、見たこともない若いむすめが、かまどの火をたいて、夕はんのしたくをしていましたが、正七を見ると、あわてておくのまへかくれてしまいました。むすめは、うしろをむいたまま、こんばんとめてほしいといいました。
正七は、いままでよりも働き者になりました。ひでりのときの田の水番もするようになりました。むすめもいっしょに田に出て働くようになりました。正七はむすめを“富貴〈ふき〉”とよんでいました。

年がかわって、美佐山にこぶしの花がさきだすころ、富貴は、子どもができることを、正七にいいました。正七はよろこんで、山にでかけていって、木苺〈きいちご〉の実をさがしてきて、富貴に食べさせたりしました。
つゆになって、雨が何日もふりつづいたあるばん、富貴は、「子どもが生まれるときには、ぜったいに見てくれるな、どんなに苦しんでも、ふすまをあけてはいけない。」といって、おくのまにはいっていきました。
夜になって、雨はいっそうはげしくなりました。
正七は、入口の間にねまをしいてよこになりましたが、ねむることはできませんでした。
夜中になって、となりの富貴は苦しみはじめました。富貴のこらえているうめき声がだんだん高まってきますと、ねまの上に、こぶしをにぎってすわりこんでいた正七は、とうとうしんぼうしきれなくなって、ふすまをすこしあけて、おくのまを見ました。
正七は“はっ”と息をのみました。うす暗いおくの八じょうの間いっぱいに、大きなへびがとぐろをまき、ふるえ動きながら、子どもが生まれていたのですが、そのとき、あたりがひるのように明るくなったかと思うと、山もさけるような音と地ひびきがして、へびになった富貴は、美佐山のおくのかめがふちへいってしまいました。

このことがあってから、この地方の農民たちは、夏のかんばつで水がなくなると、かめがふちへ牛の頭をもっていってなげこみました。そうすると、家へかえれないほど、どしゃぶりの雨がふった、ということです。

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