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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』但馬編 > 「あわら」の主(城崎町飯谷)

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更新日:2012年6月20日

「あわら」の主(城崎町飯谷)

むかし、城崎〈きのさき〉の町の東のはずれにあたる、飯谷〈はんだに〉という村に、それは、やりての、九良左ヱ門〈くろざえもん〉さんという庄屋〈しょうや〉さんがいました。お金もちで、村人からも尊敬〈そんけい〉されていました。


そのころ、円山川の下流〈かりゅう〉にあたるこのあたりの両岸〈りょうぎし〉は「アシ」や「ヨシ」「ガマ」が、うんと生えて〈はえて〉、沼〈ぬま〉のようなところが、ずっと、続いていたのです(今でも、だいぶ残っています)が、このあたりの人は、そこを「アワラ」と、よんでいました。
いつの頃か、九良左ヱ門〈くろざえもん〉さんは、その中の一つ「気比〈けい〉のアワラ」(今の屏風が浦〈びょうぶがうら〉のあたり)を干拓〈かんたく〉して、田にしようと、思いつきました。
屏風が浦は、絹巻神社〈きぬまきじんじゃ〉の近く、白山〈はくさん〉の下の入江〈いりえ〉で、潮〈しお〉の干満〈かんまん〉もかなりあり、今の機械の力をもってしても、なかなかの大工事〈だいこうじ〉であろうと思われるところです。

九良左ヱ門〈くろざえもん〉さんは、
「川とあわらの間に堤防〈ていぼう〉を作って、中の水をかえ出したら、広い、ええ田んぼになるわェ。」
と、もう、かんたんにできあがってしまいそうに大きな夢をえがいていました。

そこで、飯谷〈はんだに〉で大ぜいの人夫〈にんぷ〉さんをやとって「気比〈けい〉のアワラ」に通って、工事を進めました。
飯谷〈はんだに〉からは、楽々浦湾〈ささうらわん〉を、舟で渡って、行き帰りするのです。
九良左ヱ門〈くろざえもん〉さんは、予定どおり、まず、堤防〈ていぼう〉を築いて〈きづいて〉円山川と区切り〈くぎり〉、次に、大きな水車〈すいしゃ〉をたくさんすえて、中の水をかえ出しにかかりました。毎日、毎日、工事場〈こうじば〉に出て、
「なかなか、調子がええぞ。」「下の水車は、ようきしんどるな。油をせえよ。」
と、人夫たちにさしずしたり、はげましたり、
「このあんばいだと、秋には水が干上がって〈ひあがって〉、ええ田が生まれるわい。」「五助〈ごすけ〉ドンも、ようきばってくれとる。来年からは、もう一枚小作〈いちまいこさく〉をやろう。」
などと、それはもう、ずいぶんとはりきっておったものです。

工事が、だいぶはかどりまして、やっと、成功の目どがついた、ある日のことです。一生けんめい水車をふんでいると、突然。

「飯谷が火事だ。飯谷が火事だぞー。」とわめく声が、しきりに聞こえてきます。
九良左ヱ門〈くろざえもん〉さんをはじめ、工事をしていた人夫のみんなは、「これは、一大事〈いちだいじ〉ッ!」と、仕事をなげ出して、大急ぎで飯谷に帰りました。
すると、どうでしょう。村には、何の変わったこともありません。
「なんと、人さわがせなことをするやつもいるものじゃ。」
狐〈きつね〉につままれたような顔をしている者。ぶつぶついってはらをたてている者。
「やれやれ、とんだむだをくった。それでも、まだ、お日さんも高い。さあ、アワラへもどってもう一仕事〈ひとしごと〉だ。」
と、それでもまた、一同〈どう〉がアワラへ引き返してみると、これはまた、どうしたことでしょう。何十日もかかって、水車でかえ出した水が、わずかの時間に、また元どおり一ぱいになっているではありませんか。
「これは、どうしたことじゃ。」
九良左ヱ門〈くろざえもん〉さんは、へなへなとその場にくずおれてしまいました。夕やみせまるアワラのはしで九良左ヱ門〈くろざえもん〉さんは、いつまでも立ちあがるようすもありません。いくときたったか、考え込んでいた九良左ヱ門〈くろざえもん〉さんは、ついと顔をあげて、「これで投げては、今までの苦労が水のあわじゃ。もう一つ、がんばるか。」
気をとりなおして、次の日からまた一生けんめい水車をふんで、水のかえ出しにかかりました。
それを見た人夫たちも、元気をとりもどして、続きました。

こうして、また、何日かたって、水が半分以上〈はんぶんいじょう〉もへったある日の昼過〈ひるす〉ぎ、前と同じような時間に、また。
「飯谷が火事だぞー。飯谷が火事だぞー。」
という声です。
そこで、取るものもとりあえず、あわてふためいて帰ってみると、また、飯谷には、何ごともありません。そして、その間に「アワラ」は、また、元どおり水が一ぱいになっているのです。

こうしたことが、何回となくくり返されているうちに、多くの財産〈ざいさん〉をもっていた庄屋〈しょうや〉の九良左ヱ門〈くろざえもん〉さんは、それを使い果たし「アワラ」の干拓〈かんたく〉は、ついにできずに終わりました。

これは、「アワラ」の底〈そこ〉にずっと昔から住んでいる、年を経〈へた〉「主〈ぬし〉」のたたりであろうといわれています。

屏風が浦は、今は、養漁場〈ようぎょうじょう〉やゴルフ場になって利用されています。一部、干拓されて耕地〈こうち〉になっているところもありますが、円山川の下流の農民の水とのたたかいは、今も昔も、変わりなく、続けられています。

『児島義一作「城崎語り草」の中から』

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