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更新日:2012年11月5日

首かけの井(和田山町)

徳川時代の末期、安永年間のことです。毎日、毎日、晴天が続き、長い間、一滴の雨さえ降らない時がありました。
田畑はかわき、作物はもちろんのこと、野山の草木にいたるまで枯れはじめました。このままだと人間まで干〈ひ〉上がってしまいそうになりました。
村の人たちは、神や仏に一心に祈りました。鎮守〈ちんじゅ〉さまに何日も何日も寝ずにおこもりをしました。高い山にたくさんなたき木を運んで祈〈いの〉り火をたいて天の神にお祈りもしました。しかしいっこうに雨は降りそうにありません。村の人たちはもう立ち上がる気力もなくなってしまいました。
ところが、寺内部落に、和田嘉四郎というたいへん考えの深いお百姓が住んでいました。彼は何とかしてこの村人たちの難〈なん〉儀を救ってやりましょうと、朝早く皆が寝しずまっている間に起きだして、水さがしにでかけました。幾日も幾日も捜し歩いていますと、ある日のこと、お代官様の領地の一か所にいきいきとした草むらのあるのが見つかりました。手をあててみるとかすかに露をふくんでいるように思われました。
嘉四郎は早速〈さっそく〉お役人に領地の一部を掘らしてくださいと願い出ました。
するとお役人は、からかい半分に、
「もし水が出なかったらどうする。」
と、尋ねられました。すると嘉四郎は余程〈よほど〉の自信があったのか、
「もし万が一、水が出なかったなら、この首をさし上げます。」
と、きっぱりこたえました。
ようやくお許しが出ましたので、彼はその草むらのあたりを掘りはじめました。何日も何日も堀り続けておりますと、ずっと深い地の底から、こんこんとすんだきれいな水が湧〈わ〉き出てきました。
村人たちの驚きと、喜びは大変なものでした。男も女も、老いも若きも、村中総出でその井の近くに水路を掘り始めました。そうして枯死寸前〈こしすんぜん〉の田畑の中に、すんだ清らかな水がとうとうと流れこんでいきました。
それから後、この水源のことを、「首かけの井」といって、村人から大変感謝されたということです。

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