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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』但馬編 > 亀ヶ城の大将軍(但東町木村)

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更新日:2012年12月3日

亀ヶ城の大将軍(但東町木村)

但馬守護職太田氏代々の本拠〈ほんきょ〉、亀ヶ城のすぐ西の谷に大将軍という地名が残っています。土地の人はここを“だいじょうご”と呼びますが、大将軍と書いて、どうして“だいじょうご”と読むのかということは、今だにはっきりとは分りません。
しかし、この地には、こんな話が残っているのです。

太田氏の初代を太田昌明といいますが、この人はもとからの武士ではなく、始めは常陸〈ひたち〉房という叡山西塔谷の僧兵だったのです。
ところが、文治元年のことです。後鳥羽上皇は、源頼朝に叔父の行家や弟の義経を討てと命じますが、この時、和泉国八木郷という所にひそんでいる行家を見つけ、格闘の末やっと生捕りにしたのがこの常陸房だったのです。
行家は後、赤井河原で首を打たれ、その首は鎌倉に送りとどけられることになりますが、常陸房は、この功によって摂津の葉室荘と但馬の太田荘を賜わることになります。
こうして、常陸房は但馬に来ることになりましたが、その時、名も太田昌明と改め、この大将軍に館を構えることになりました。

しかし、この時はまだ、ここを大将軍と呼んでいたのではありません。この土地が大将軍と呼ばれるようになるのは、文治五年、昌明がはるばる奥州征伐に従軍してからのことなのです。
むかしから、奥州の蝦夷〈えぞ〉を討った人々には、坂上田村麻呂、八幡大郎義家、源頼朝などの武将がありますが、こんな人々にはみんな征夷大将軍という地位が与えられました。
頼朝も建久二年にこの大将軍の地位についていますが、奥州征伐から帰った昌明は、まるで自分が総大将で蝦夷を討ったように、いつも自慢話ばかりするようになったといわれます。
もともと、この昌明という人は自慢話の好きな人だったようで、
「自分は以前叡山の僧兵ではあったが、もとを正せば村上源氏の血を引く家柄であり、具平親王がその一世である。行家を八木郷で捕えたのも、おれだからこそできたのだ」
と自慢しました。
ことに、奥州帰りの昌明の口からは、明けても暮れても、何度も何度もこの蝦夷征伐の話が続いたのです。

こんなことで、周囲の人々は、誰いうとなく、“大将軍のお館さま”と呼ぶようになりましたし、昌明もまた得意になって喜んでおりましたので、いつの間にか、大将軍のお館さまが大将軍という地名に転化したのだと伝えられることになりました。
ところが、この威張りやの昌明も、承久の変が起ると、生命からがら山奥の砦に逃げ込むという事件が発生しました。つまり、鎌倉に不満をもった後鳥羽上皇が、山城など十二ヶ国の武将に院宣を発したことから、朝廷に味方する但馬の武将たちは使者を送り、昌明にも官軍に加わるよう勧めました。
しかし、昌明はこの使者をあっさり斬り捨てましたので、怒った官軍は、先ず昌明を血祭りに上げて手柄にしようという訳で、どっと大将軍の館に攻めかかったのです。
もちろん、昌明も一度はここで防戦の構えを見せたものの、とてもかなわぬと見てとると、夜陰に乗じ、万一の時のために築いておいた山奥の小城に逃れました。小城とは言っても、高くけわしい天険の小屋谷砦(こやだにとりで)のことですから、守るに易く攻めるに難い要害です。さすが気負いたった官軍もいたずらに月日を費すばかりで、どうしてもここを攻め落すことはできませんでした。
そうこうするうちにも、義時の軍は京都に入り、官軍大敗という報せが但馬にも伝わって来るようになると、小屋谷の官軍城も腰くだけになり、自ら兵を引いて、何処ともなく四散してしまったということです。
義時は後にこのことを聞き、昌明の忠節を賞すると共に、但馬に流された皇子雅成親王の守護を命じることになりましたので、同年七月、昌明はとうとう但馬守護職の地位につくことができました。
昌明が亀ヶ城の築城にとりかかるのは、この守護職になってからのことで、東の要地に仏清城、西の要地、岩吹城を配し、ことに岩吹の山と山の迫ったところには、大きな土手を築いて太田川の水を貯え、巨大な池という感じの堀をめぐらすことになります。
こうなってきますと、狭い大将軍の館は不適となって来ますし、広くて見晴しのよい高台の地に館を移す方が、何かにつけて便利がよいということになります。
太田氏の館は、こうして三城の見渡せる堀の内に移り、六代守延に到るまで代々の館として栄えますが、大将軍のお館さまの自慢話も、承久の変で一時中断したとはいうものの、但馬守護職になり、亀ヶ城などの築城が進むにつれて息吹きをとりもどし、梓野の西、岩吹の東に造られた新しい館からは、再び、堀の内のお館さまになった昌明の高笑いや、元気のよい自慢話がもれるようになったと言われます。

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