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更新日:2012年11月5日

説法杉の話(但東町坂野)

むかし、坂野村に吉兵ヱというお百姓さんが住んでいました。余り大きな農家でもありませんでしたが、昔の自作農のことですから、経済的にも多少余裕〈よゆう〉があり、吉兵ヱ夫婦〈ふうふ〉とその子政吉、せんの四人は、毎日仲睦〈なかむつ〉まじく暮していました。
吉兵ヱさんの家から南側は、山奥の村にしては珍〈めずら〉しく広い長い谷が開けていますが、その谷の西側山麓には、大きな一本杉のあるお寺がありました。そして、お寺の裏山は尾根〈おね〉づたいの小山になっていますが、樹令三百年も越えるであろうといわれるこの大杉は、その裏山よりずっとずっと高く聳〈そび〉えていますし、昔から説法杉という名で呼ばれ、この大杉を一度仰ぎみた人は、誰でも、どんなに迷いの深い人でも、必ず後には正しい道に導かれるという伝説がありました。吉兵ヱさんの家からは、この説法杉はすぐ目の前に見えるのです。

ところが、ある年のことです。信仰の篤〈あつ〉い吉兵ヱさん一家は、家も田も親戚の人々に預けて、四国八十八か所の霊場巡りに旅立つことになりました。今と違って、四国一周、山坂道を子供づれで歩いて回るのですから、一ヶ月や二ヶ月ではとても巡回することはできません。
出発の日には、村中の人が見送りに来てくれましたし、吉兵ヱさん一家は、白装束〈しょうぞく〉に草鞋〈わらじ〉がけという遍路姿になっていました。
「旅は水が変わるでな、身体に気いつけて早よう帰ってきなれよ。」
「留守中どうぞよろしくお願いします。」
吉兵ヱさんたちは、こうして村の人々と別れ、お寺の向いを通る時は、
「説法杉ともしばらくお別れじゃ。」
と言って、長い長い四国への旅が始まりました。

旅といっても、物見遊山の旅と違い、遍路の旅は村々の門口に立って鈴〈れい〉を振り、御詠歌〈ごえいか〉を唱〈とな〉えての托鉢〈たくはつ〉と自炊の旅ですから、ある時はお寺に宿をもらい、ある時は村はずれの御堂で夜を明かすという具合で、仲々苦しいきびしいものがありました。
但馬を出て初めて瀬戸内の海を見るまで一か月余もかかってしまいましたし、四国に渡ってからも、子供がお腹をこわしたり熱を出したりすると、治るまで十日でも二十日でも一か所に留〈とど〉まっていなければならないというありさまですから、出発は三月の終り頃でしたが、讃岐〈さぬき〉から伊予を巡り、四国山地を越えて土佐に入った頃は、暖かい地方とはいうものの雪のちらつく日もありました。
そして四国三十五番の札所、高岡の清滝寺にお参りして阿波への道を急ぐ頃には、とうとう旅の疲れと寒さのために、はやり病(流行性感冒)にかかってしまった一家は、どっと枕をならべて床についてしまいました。
さいわい親切な農家の世話になることができましたが、病は日増しに重くなり、肺炎を併発したのでしょうか、吉兵ヱさん夫婦と妹せんは、とうとうこの家で死んでしまいました。その時、残った政吉は数え年の七才、今なら幼稚園の年頃です。

かわいそうに思ったその農家の人々は、政吉が十五才になるまで育ててくれましたが、物心のついた政吉は、いつまでもこの家に世話になっている訳にはいかないと思うようになりましたし、何とか、かすかではあるが記憶している故郷に帰り、両親や妹の遺髪〈いはつ〉を先祖の墓に葬〈ほうむ〉りたいと思うようにもなりました。
しかし、故郷とは言っても政吉の手許〈てもと〉には、両親の残した白い頭陀袋〈ずだぶくろ〉に但馬国坂野村吉兵ヱと記されているだけで、坂野村が広い但馬のどの辺にあるのか、全く見当もつかないことだったのです。それでも、一度意を決した政吉は、親切な農家に対し、長い間の御恩に感謝し、肉親の埋もれている土佐を去ることに後髪〈うしろがみ〉を引かれつつも、わが家や親戚縁者が帰りを待つ坂野村に向って旅立つことになりました。

瀬戸内の海を独り渡る時は、政吉にとってずいぶん淋しいことでしたし、街道の村々で但馬への路を開くことは、とても心細いことでもありましたが、それでも無事生野峠を越えることができました。
「坂野村はどこか知りませんか。」
「坂野村の吉兵ヱを知っておられる方はありませんか。」
但馬に入ってからは、右の谷、左の村と尋ね歩き、やっと出石の奥に坂野という村のあることを突きとめることができました。そして、出石川を上って行くと、逢う人がこの奥だとか、もう少しだとか教えてくれるようにもなりましたが、どの山をみても、その川を見ても、ここが自分の故郷だという確かなものは何一つなかったのです。
ところが、中山村まで辿〈たど〉りつき、山麓にそびえるお寺の一本杉を見た時に、政吉は誰にも教えられないのに大声をあげて泣きふし、大地をしっかり抱くようにして、
「ここがわしの故郷じゃ。」
「おとうや、おかあやせんといっしょに暮していたところはここじゃ。」
と叫んだと言われます。
この説法杉は、今もこのお寺に生き続け、裏山よりもっともっと高い処から、向いの道を通る人々を暖い眼で見おろしています。

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