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更新日:2012年6月20日

岩崎の大蛇(八鹿町)

むかし岩崎村の奥の山の上に大きなくぼ地があり、大雨のときには池になるところがありました。そこには背たけ以上もある草がおい茂っていましたし、大蛇が住んでいるというので、人々はめったに近づこうとしませんでした。

ある夜のことです。ここの大蛇が村の一人の老人の夢枕〈ゆめまくら〉に立ち、長い間住んできたところであるけれども、近くこの池から出たいと思う、ついてはじゃまをせずに村を通させてくれないか、と、いったというのです。あくる日、老人は村人たちにこのふしぎな夢の話をしました。人々は気味悪がり、「いうことをきかなんだら、どんなたたりをするかわかれへん。通してやった方がええ。」という人や、「そんな大きな蛇が谷すじを通ったりしたら、田や畠の作物がめちゃめちゃになっちゃう。なにがなんでも閉じこめておく方がええ。」という人などがあり、くちぐちに意見を出しあいました。長い時間の話し合いのすえ、とうとう蛇を出してやらないことにきめました。そして池の出口に蛇杭〈じゃぐい〉を打ちにいく相談をはじめたのです。

そのとき、不安そうに「そうかんたんげぇー言っとるけど、仕事をしとるときにもし大蛇が出てきたらどねえするんだ。」という者がありました。とたんにみんなは黙ってしまいました。ほんとうに大きな蛇が出てきたらどうでしょう。大蛇は見ただけでも、見た人を死なせてしまうといい伝えられています。すると、「暮坂〈くれさか〉のあの男に来てもらったらどねえんだ。」とひとりがいいました。
岩崎村の奥の山を一つ越して、出石郡に入ったところに、暮坂という村があります。この村に、四十歳近くにもなるというのに独身で、村はずれの山の中に一人離れて住んでいる不気味な男がいました。彼は蛇が大好きで、家の中や家のまわりに、うようよするほど「しま蛇」を飼っていて、ふところに入れたり、首に巻きつかせたりもして、かわいがっているということでした。
この男のうわさを聞いていたほかの人たちもこれに気がつき、「そうだ、あの男がいっしょに行ってくれたら、大蛇が出てきても大丈夫だろう。」と考えました。そこで、さっそく村の総代が暮坂村の男に頼みに行くことになりました。

その夜、大蛇はふたたび老人の夢の中にあらわれました。そして、悲しげに、蛇杭があると出られないから、何とか打たないようにしてくれないか、といって消えたというのです。

しかし人々は聞き入れません。暮坂の男が承知してくれましたので、彼をともなって村中の男が池の出口のところに登り、蛇杭をぎっしりと打ちこみました。
願いのかなえられなかった大蛇は悲しみ、そして怒りました。このうえはなんとしてでも自分の力で広いところへ出ていこうと考えたのでしょう。ある嵐の夜、大蛇はありったけの力をふりしぼって、雨や風をよびました。このため岩崎の谷は夜っぴてゴウゴウと鳴り、雨は滝のように家々に、また田畑におそいかかりました。村人たちはそのすさじさにおそれ、ひっそりと家の中で、怒りの静まるのを待ちうけていました。大蛇の池にはもうまんまんと水が満ちあふれていたことでしょう。

夜半すぎ、村人たちは谷の奥の方におこった遠雷のようなにぶい地鳴りの音が、家々の戸障子〈としょうじ〉をゆるがせて走り去っていったのを知りました。何事がおこったのでしょうか。
あくる朝、明るくなってから人々はそのわけを知りました。家々の下の谷すじが一面の泥の海になり、大きな岩がごろごろところがっています。ようやく穂の出そろった稲はその下に埋もれてしまいました。谷の奥の大蛇の池があったあたりは、山はだがざっくりと大きく割れ、池はあとかたもありません。大蛇は大水のいきおいにのって池の囲いを破り、谷をくだっていったのでした。

村人たちは大蛇のしわざをにくみました。
このうらみをはらすために、旧暦の八月一日に、太さはこどもの胴ぐらい、長さは五十メートルもある縄をない、これを大蛇にみたてて、村中の人がひき合ってひきちぎる行事をおこなうことにしました。首尾よく縄がちぎれたなら、大蛇を退治したことになります。これを祝って、一日農休みがもらえることになっていましたから、こどもや若者はそれこそいっしょうけん命にひっぱったということです。しかしいまではこの行事はまったくおこなわれておりません。

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