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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』但馬編 > 出石乙女(伊豆志袁登売〈いづしおとめ〉)(出石町)

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更新日:2012年9月10日

出石乙女(伊豆志袁登売〈いづしおとめ〉)(出石町)

美しい出石の里でした。河の流れはゆるやかに、自然な曲折にまかせて下り、春がすみのたなびく山々にはこぶしの花が白く群れ咲き、若葉の丘には藤花の紫がやさしく香りました。
清流には若鮎が光りを受けて走り、野辺の青草に影をうつして飛ぶ鶴群〈たづむら〉の白さが目にしみました。
ところどころに中州〈なかす〉があって、葦や小竹が風になびき、秋霧の立ちのぼる浅瀬には遠い海からやって来たつがいの鮭が憩い、下流の晴れやらぬ霧の中にはこうの鳥が五十羽も六十羽も群れ遊んでおりました。これは、わずか三、四十年ほど前のことなのです。

この出石の里の昔、古事記の中でも代表的な「伊豆志袁登売〈いづしおとめ〉」の物語がありました。
伊豆志袁登売は伊豆志之八前大神〈いづしのやまえのおおかみ〉(天之日矛〈あめのひぼこ〉)の娘で、気だてのやさしい美しい女神でした。ひときわ目だったために多くの若い神々がきそって結婚を申し込みましたが、みんな駄目でした。
この土地に住む若い二人の兄弟の神様がありました。
兄を「秋山之下氷壮夫〈あきやまのしたびおとこ〉」といい、弟を「春山之霞壮夫〈はるやまのかすみおとこ〉」といいました。

あるとき、兄神の下氷壮夫が
「私は伊豆志袁登売に結婚を申しこんだが、やっぱり駄目だった。お前はどうか…」
と弟の霞壮夫にたずねますと
「たやすいことです。」とこたえました。そこで兄神は、
「もしお前が結婚出来たら、上下の衣服〈きもの〉をぬいで身長をはかり、その高さの甕〈かめ〉に一杯の酒をつくり、山河の珍味をすべて取りそろえて贈ってやろう。」と約束しました。
弟神はこのことを、ありのまま母神に話しました。
母神は、野山に自生する藤の葛〈かづら〉を採集して、一夜のうちに衣服から袴〈はかま〉や沓〈くつ〉まで織りあげて着させ、弓矢まで作って乙女の家に行かせました。
すると、その衣服から弓矢までみんな一度に藤の花にかわり、乙女の心を得て結婚することが出来ました。幸福な二人のあいだには間もなく可愛い一人の子供が生れました。
そこで、弟神はこのことを兄神に報告しましたが、兄神は弟の成功をうらやみねたんで、初めに約束したかけ〈・・〉の物を贈りませんでした。

弟神はそのことを母神に伝え、母神はこれを祖神〈おやがみ〉に報告されました。人の手本となる神様のことです。祖神は約束を守らぬ兄神をこらしめるために、出石川の中州〈なかす〉に生えた竹を切って、目の細かい簡単な籠〈かご〉をあみ、出石川の石をとって塩をまぶして竹の葉でつつんで籠に入れ、
「この竹の葉がしぼむように、この塩が乾くように、この石が水に沈むように沈み伏せ。」
と呪文〈じゅもん〉をとなえてかまどの上に置かれました。
そのため兄神は八年もの永い間、やせ細って病の床につき、うれい悔〈く〉い、泣いて祖神に許しをこいました。そこで祖神はこれを許して呪文を解かれましたので、兄神の身体は元にかえり、その後は平和な日々が続いたといいます。

出石町桐野にある「御出石〈みづし〉神社」は伊豆志袁登売を祭った神社といわれ、近年まで父神の天之日矛を祭る出石神社のみこし・・・が渡御〈とぎょ〉する行事がありました。しかし一説には「御出石神社」は桐野の隣村で出石川の上流に近い水石〈みづし〉にあったともいわれます。

この物語に伝わる「藤織〈ふじおり〉」は、藤の葛〈かづら〉をとり、うち砕〈くだ〉いて水でさらして繊維〈せんい〉をとり、つむいで織りあげる古代の素朴な織物です。現代では絶滅した幻の織物といわれますが、但馬に隣る丹後半島の奥地には今もわずかに伝承されて、古代の夢を伝えています。
記紀には、この「出石乙女」の物語のほかに、日矛の曽孫清彦の時、勅命により「出石の小刀」ほか五種の神宝を大和朝廷に献じた話や、玄孫の田道間守〈たじまもり〉が勅を奉じて「非時香菓〈ときじくのかぐのこのみ〉を常世〈とこよ〉の国に求めた有名な話などが書かれております。

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