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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』但馬編 > 御主殿〈ごしゅうでん〉の片目の猿(生野町)

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更新日:2012年6月20日

御主殿の片目の猿(生野町)

町の北にそびえている山を土地の人たちは御主殿と呼んでいます。これは十五世紀の初め頃応水三十四年に播国で足利幕府に反旗〈はんき〉をひるがえした赤松満祐を、山名時磨〈ときひろ〉が将軍の命をうけて討伐〈とうばつ〉に進駐して、此所に城砦を仮設したことによるものであります。そして後に一つの語り草を残している山であります。

十六世紀中頃の天文時代、生野城主として銀山を開掘したのが山名祐豊公で、当時別に平城を築いて居たのですが、この人は時から六代目に当たる子孫であります。

この祐豊公の奥方が、原因の分らぬ病気にかかり日増しに衰弱するばかり、人々は心配していろいろ手をつくして看病するのですが効目〈ききめ〉がないので、この上は神仏にお願いするほかはないと、町の西南にある龍上山延応寺の秘仏千手観音さまに祈願して〈きがんして〉お救いを求めて七日七夜の間お祈りをいたしました。

それから七日目の満願日の夜、祐豊公に夢のお告げがありました。その夢というのは、今住むこの生野銀山町から西南の方角に当たる比叡村というところに、山王権現〈ごんげん〉が鎮もりまします(現神崎郡大河内町比延)によってこの神に祈り奉れば霊験あらたかで必ず感応したまうて、病気全快疑いなし、との夢であったので、これこそ千手観音菩薩〈ぼさつ〉のお救いであると感恩して、それより直ちに山王権現さまに種々の幣帛〈みてぐら〉を奉り信心の誠を捧げて祈願いたしましたところ神威に叶い、山王二十一社の内八王手権現を勧請して一心不乱に祈りました。

ところが、不思議にもそれと同じ頃、一匹の老猿が棲むようになり、奥方の寝所を守るかのように見えました。ある日の夜半に、この御殿の天井で物凄い音を立てて、何物かが格闘している様子に家人のものは飛び起きたものの余りの激しさに手足もすくむ思いで、皆はただ恐れおののくばかりでありました。そうこうする中に夜も明け始めてきましたので、漸く〈ようやく〉人心地もつき、急いでその現場に行って見ましたところ、寝所の庭に一匹の古狸が形相もの凄く全身血まみれとなって斃れて〈たおれて〉おり、その近くにはこれも体に血をあびた老猿が、鋭い目なざしでその狸を睨んで〈にらんで〉いました。しかし片目のほうは潰れて〈つぶれて〉おりました。やがてその老猿は何処ともなく〈どこともなく〉姿を消してしまいました。

この有様を聞かれた祐豊公はハタと膝を打たれ、これこそ山王権現の御加護八王子権現の御助力であろうと大へん喜びました。そしてこのことがあってから後は、奥方は日増しに快方に向かわれ、やがて全癒のお祝いをされたことはいうまでもありません。
祐豊公は、この老猿こそ権現さまの“おつかわしめ”であったことをかしこみ奉り〈たてまつり〉感泣し、間もなく一祠を建立して八王子権現と崇め敬いまつりました。この八王子権現社は、後世土地の氏神である大歳神社に合となりましたが、今も「八王子」という地名が残っております。

やがていつ頃とも知れず、御主殿に片目の猿が棲んでいるという噂が立ちはじめました。それは、多分杣人がこの片目の猿を見て里の村に伝え、村人たちもそのことを疑わずに受け留めて世間に広まったものでありましょう。

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