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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』但馬編 > 藤無山〈ふじなしやま〉(大屋町若杉)

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更新日:2012年12月3日

藤無山〈ふじなしやま〉(大屋町若杉)

藤無山(一一四二メートル)は、但馬〈たじま〉と播磨〈はりま〉の国境にあるコニーデ式火山です。昔は、故墨士介嵩〈こぶしがだけ〉といったこの山は、次の伝説によって藤無山というようになったのです。

昔、出雲〈いずも〉の国(鳥取県)の大国主〈おおくにぬし〉が故墨士嵩〈こぶしだけ〉へ来ると、揖保〈いぼ〉川をさかのぼって来た天日槍〈あまのひぼこ〉に出合いました。不思議〈ふしぎ〉に思った大国主がたずねました。
「わたしは、出雲を治〈おさ〉めている大国主です。あなたは、誰で、どこへ何しに行くのです。」
「わたしは天日槍。わが住む土地をさがして但馬へまいります。」
「それは、こまります。但馬には、わたしの家来がわたしの行くのを待っているのです。」
大国主のことばは物静かで、ていねいではあるが“但馬は、わが領土〈くに〉”とする強い気魄〈きはく〉が感じられます。日槍〈ひぼこ〉も負けてはいません。
「わたしは、天皇のお許しを受けています。だから、どこへ行ってもよいのです。」
と、いって、一歩もひこうとは、しません。二人は、にらみ合いの形になってしまいました。
一つの国を二人が争う。それを解決するには、力によるほかに方法のない時代のことです。二人はじっと考えました。何とか、話し合いで解決したかったのです。しばらくして、大国主がいいました。
「二人が争っては、大勢の者がこまります。但馬に誰がいくか?それは、明日神さまにきめていただきましょう。」
「神さまの仰〈おお〉せには、わたしも従〈した〉がいます。神さまの仰せは、どうして聞くのです?。」の問いには、
「石に一メートルほどのフジづるをつけ、その端を持ってふりまわして投げる。石は三つ。神さまのお心のままに飛んで、但馬に落ちた石の多い方が、神さまのお心にかなった、但馬のあるじ、としましょう。」という大国主の考えに、日槍も賛成して、二人は、仲よく山をおりました。

あくる日、二人は約束どおり、フジづるをさがしながら故墨士介嵩〈こぶしがだけ〉へ登りました。しかし、不思議なことにフジは一本も見当りません。しかたなく、フジづるの代〈かわ〉りにクツバ(クズ)かずらを使って、めいめい三つの石を投げました。すると、大国主の石は二つ、日槍の投げた石は三つとも、但馬に落ちたので、但馬には、日槍が来ることになりました。そして、この時から今にいたるまで、一本のフジもないので藤無山というようになり、その後、ゆかりの場所(山頂)に藤無神社を建てて、宍粟郡〈しそうぐん〉一宮町公文〈くもん〉・同郡波賀町〈はがちょう〉道谷〈どうだに〉と大屋町若杉の三部落でお祭りをしていました。(享保四(一七一九年)年に宮分けをした)

なお、日槍の投げた石は出石町に落ち、宮内の出石神社は、天日槍〈あまのひぼこ〉を祀〈まつ〉り、但馬の一ノ宮として、但馬人の信仰〈しんこう〉を集め、大国主の投げた石は、八鹿町浅間(葛〈かずら〉神社、祭神は素盞鳴尊〈すさのをのみこと〉―大国主の父?)日高町上ノ郷(気多神社、祭神大巳貴命〈おおなむちのみこと〉―葦原志許乎命〈あしはらのしこおのみこと〉・葦原醜男命〈あしはらのしこおのみこと〉―は、大国主の別名)に落ち、今一つは、宍粟郡一宮町三方(加都良〈かつら〉神社)に落ちた。ということです。

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