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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 業平〈なりひら〉と公光〈きんみつ〉(芦屋市業平町)

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更新日:2012年12月17日

業平〈なりひら〉と公光〈きんみつ〉(芦屋市業平町)

むかし津の国芦屋の里に公光〈きんみつ〉というものが住んでいました。若い時から伊勢物語〈いせものがたり〉をよんで、たいへん業平〈なりひら〉にあこがれていました。

ある夜の夢に美しく咲き乱れた花の中に、真紅〈まっか〉なはかまを召〈め〉された女と、束帯〈そくたい〉をつけたやさしい男とが、伊勢物語の草子〈そうし〉を持ってたたずんでいました。あまりの美しさに、おそばの翁〈おきな〉に「あのかたはどなたさまでございますか」とたづねました。翁〈おきな〉は「あのかたこそ伊勢物語のご主人業平さまで、女のかたは二条の后〈きさき〉さまでございます」と答えました。
「ここはどこでございますか?」とききますと、「ここは都の北山かげ、紫〈むらさき〉の林。」と教えられました。
ハッと夢がさめました。あまりのふしぎさに、あこがれの都、夢の雲林院〈うんりんいん〉を尋ねようと、芦屋の浦を旅立ちました。名残りの月が西の海にかたむいて、芦辺〈あしべ〉をとびかう蛍〈ほたる〉の火を、海女〈あま〉のたく火かとあやまり、塩やくけむりが松かげにたなびくなかを、西の宮のひる子の宮につきました。
西宮のえびす社におまいりして、尼崎をすぎ難波〈なにわ〉の津〈つ〉をわたって都路に上り、さくらの花満開〈まんかい〉の雲の林につきました。
紫野〈しの〉の雲林院について、花の一枝を折りとりました。すると一人の翁〈おきな〉があらわれて、それをとがめましたので、「私は摂津〈せっつ〉の国芦屋の里の、公光〈きんみつ〉と申す者で、伊勢物語の業平さまの夢を見て、ここまで尋ねてきた者でございます・・・。」といいました。
すると翁〈おきな〉は「今夜はこの花のかげにいなさい、奇特〈きとく〉なことがあって、伊勢物語の秘事〈ひじ〉を授〈さづ〉かることであろうから。」といって、夕がすみの中に消え去りました。
やがて夜になり待っていると、夜半〈よなか〉に業平の霊〈れい〉があらわれて、伊勢物語の秘密〈ひみつ〉を語ったり、昔をしのんで夜遊びの舞楽〈ぶがく〉を奏〈そう〉したりしました。夜明けに公光の夢がさめました。

業平〈なりひら〉は平城〈せいぜい〉天皇の皇子阿保親王〈あほしんのう〉の第五子で、母は桓武〈かんむ〉天皇の皇女伊都〈いと〉(伊登)内親王で、天長二年八月の誕生〈たんじょう〉で、このとき父阿保親王は三十四才でありました。
業平は天長三年兄の仲平〈なかひら〉、守平〈もりひら〉らとともに在原朝臣〈ありわらのあそん〉の姓をたまわり臣下の列にくだりました。しだいに出世して、五十一才のとき従四位上になり、元慶〈がんぎょう〉四年五月二十八日五十六才でなくなりました。業平は美男子で才学にとみ、和歌に秀でていた人でした。
伊勢物語は業平の歌をあつめたものだといいます。

芦屋の里は父君阿保親王の領地〈りょうち〉であったので、業平も芦屋にすんでいたといいつたえております。今も芦屋に「業平屋敷〈なりひらやしき〉」のあとがのこっていて、業平町、業平橋などの名がついております。

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