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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 頼光大江山〈らいこうおおえやま〉の鬼退治〈おにたいじ〉(川西市)

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更新日:2012年10月22日

頼光大江山〈らいこうおおえやま〉の鬼退治〈おにたいじ〉(川西市)

今から千年もむかし、源氏〈げんじ〉の祖先〈そせん〉に源満仲〈みなもとのみつなか〉という人がいて、その子に頼光〈らいこう〉というたいへん武勇〈ぶゆう〉のすぐれた武士〈ぶし〉がいました。
頼光は、父にたのんでりっぱな家来〈けらい〉を四人つけてもらいました。渡部綱〈わたなべのつな〉と卜部季武〈うらべのすえたけ〉と碓井貞光〈うすいのさだみつ〉と坂田公時〈さかたのきんとき〉であります。その家来を頼光の四天王〈してんのう〉といいました。

そのころ、このあたりでは、だれかれとなくゆくえ不明になるという変〈へん〉なことがおこっていました。
一日のうちに、五十人も七十人も消〈き〉えていなくなるというようになってきました。
「やれ、だれそれの殿〈との〉のお子様が見えられなくなった。」
「やれ、どこそこの貴族〈きぞく〉が見えなくなった。」
そのようすがさまざまなので、お上〈かみ〉でもおどろいて、国中残〈のこ〉るところなくたずねたところ、丹波〈たんば〉の大江山〈おおえやま〉から毎夜鬼〈おに〉の姿〈すがた〉をしたものが、うろつきまわり、石や木のかげにかくれていて、道行く人があると、つかんで大空へかけ上がるといううわさで、旅人〈たびびと〉も通らなくなったということでした。
あまり不思議〈ふしぎ〉なことなので、大江山へ間者〈かんじゃ〉を入れて調〈しら〉べてみると、たくさんの石の城をかまえ、あやしい姿をした鬼どもがたくさんおり、力をもってはたやすく落〈お〉ちるとは思われないということでした。

またその城の鬼は、家来を城に残〈のこ〉しておいて自分は七、八人を引きつれ、この山の後にある千丈岳〈せんじょうがだけ〉という高い山のほらあなの中に身をひそめているということでした。
この鬼は、人間わざでない不思議な力があって、たやすく大空をかけるかと思うと、突然〈とつぜん〉姿が見えなくなり、雨を降らせたり風を吹かせたりして丹波、丹後〈たんご〉の人びとは、大そうなやまされていました。
「早く退治〈たいじ〉してしまわないと、たいへんなことになる。」
とみんなはあわて出しました。
この鬼を退治するには、源頼光〈みなもとのらいこう〉にまさる者はないと、そのころ日本の国を治〈おさ〉めていた藤原氏〈ふじわらし〉は頼光をよんで
「軍〈ぐん〉をすすめてこの鬼を退治せよ。」と命〈めい〉じました。
そこで頼光は、親せきの藤原保昌〈ふじわらのほうしょう〉と四天王と一千人のさむらいとを従えて出発することになりました。

その日、杓子峠〈しゃくしとうげ〉をこえて無根坂〈むこんざか〉という所をすぎたころ、どうしたのか頼光は急にぐあいが悪くなり、宿〈やど〉をとって休むことになりました。そうして夜中のこと、
「千丈岳には、大勢〈おおぜい〉でおしよせては不利〈ふり〉であろう。お前自身〈じしん〉がひそかにしのび入り、計略〈けいりゃく〉をめぐらしてこれを討〈う〉つようにせよ。住吉〈すみよし〉の明神〈みょうじん〉あたりからかならず案内〈あんない〉があるであろう。」
と不思議なお告〈つ〉げがありました。
頼光〈らいこう〉が家来たちにこのことを話すと、保昌〈ほうしょう〉が
「大江山の方を大勢でせめたら、千丈岳の方ではきっとゆだんするでしょう。また頼光公〈らいこうこう〉は大そうお疲〈つか〉れになって、ごようだいがよくないといううわさを世間〈せけん〉に流してはどうでしょう。そして、この間に頼光公とわたくしと四天王とが、ひそかに千丈岳に行き討つことにしてはどうでしょう。」
と、よい考えを出したので、頼光も四天王もさんせいしました。
さっそく長男の頼国〈よりくに〉をよんで
「急いで大江山を討つように。」といいわたし、頼国は家来たちと出発〈しゅっぱつ〉していきました。

頼光は、病気〈びょうき〉がいよいよ重くなったといううわさを流し、千丈岳の鬼どもがさだめしこのうわさを聞いたであろうと思われるころ、千丈岳をさして出発しました。
その日、丹波についた頼光は
「このままの姿でしのび入れば、賊〈ぞく〉にみぬかれるであろう。みな山伏〈やまぶし〉(山にねおきして修行する僧)に姿を変えよう。」
と前から用意してあった装束〈しょうぞく〉に着がえることにしました。六人は、じょうだん口をかわしながら丹波の国府につきました。

そこへ向〈む〉こうの細道から顔のやせた老人がやってきました。
「そなたは何人〈なにびと〉か。」
と頼光が問〈と〉うと
「ここに小さなお社〈やしろ〉があって、わたしはその宮守〈みやもり〉でございます。」
と静かに答えました。
「ここの山奥〈やまおく〉というのは、どこのことかお聞きしたい。」
とひきとめて聞くと
「あなた方は修行者〈しゅぎょうしゃ〉の方ですから、かくさずにいいますが、決して人にもらさないでください。実〈じつ〉は山上に『千丈岩屋〈せんじょうがいわや〉』があって、そこへ急ぎの用があるのでまいります。そこには大童子〈だいどうじ〉がおって、都からせめてきたら、大江山でたたかい、自分は千丈岳に身をかくしているのです。それにこのごろ有名〈ゆうめい〉な頼光がせめてくるとか、でも今は病気〈びょうき〉で多田へかえって養生〈ようじょう〉をしておられるとかいうことです。それでいろいろのようすを知らせるために行くのです。この鬼は、食物〈たべもの〉はけものだけを食べ、酒〈さけ〉をのんで、いつ酔〈よい〉からさめるともわからないほどのむのです。それで酒顚〈しゅてん〉といい、髪〈かみ〉にくしを入れないで子どもの姿をしているので童子〈どうじ〉といっています。」
と長々と話してくれました。
「われわれは修行の者、その酒顚童子にあって忍術〈にんじゅつ〉を教えていただきたいと思う。どうかそこへつれて行ってください。」とたのみました。
老人は、
「どうもわからないことを申される。あの峯〈みね〉に行かれたら、かならず命〈いのち〉をうしなわれることでしょう。それより大山〈だいせん〉への道を教えてあげましょう。」
と首をふっていうのを頼光は、
「もっともなことです。しかし法〈ほう〉のためには命をおしむわけにはいきません。ぜひ、つれて行ってほしいのです。」
と、いっしょうけんめいたのみました。老人は、
「それほどまで思いつめられるなら、その門のところまでご案内〈あんない〉いたしましょう。」
といいました。六人はよろこんで
「おたのみ申〈もう〉す。」
と足早についていって、その日の夕ぐれに千丈岳〈せんじょうがだけ〉のふもとに着〈つ〉きました。

そこからは、びょうぶのような絶壁〈ぜっぺき〉ばかりです。十二キロメートルばかり歩いた頃、二百メートルもあろうかと思われる岩あながあって、そのなかへ入って行きました。
そこは広くてはてしない野原〈のはら〉のようで、生〈なま〉ぐさい風が吹いていました。
老人は「ここで待〈ま〉っておられますように。」といって、中門の中へ入って行きました。
やがて使いの者が出てきて、山伏〈やまぶし〉姿の六人を酒顚童子の前へつれて行きました。
六人は少しもさわがず、きちんとすわって一丈〈いちじょう〉(約三メートル)ほどの大男の酒顚童子を見つめていました。
童子は、大きなますのさかずきを持ち、けものの皮をはいだままの生々〈なまなま〉しい肉を引きさいて食べていました。
童子〈どうじ〉は六人にむかって
「どうしてここへ見えたのか。」
と聞きました。藤原保昌〈ふじわらのほうしょう〉が答えて
「わたしたちは都の山伏ですが、大山へまいるところ山道にまよい、困っているところをこの使いの方のおなさけでここにつれてこられました。あなた様にお目にかかれることができたのは、仏様〈ほとけさま〉のおかげとよろこんでおります。このうえは、一晩のやどと食事〈しょくじ〉をおゆるしくださいますように。」
と、おちついていいました。
童子は
「もっともなことである。しかし、お前は先達〈せんだつ〉(道案内者〈みちあんないしゃ〉)のはず、どこの道でもよく知っているはずである。どうやら、わけがありそうに思われるが…。」
「そのおことばこそ心に入りません。先達〈せんだつ〉とは、文学〈ぶんがく〉、修業〈しゅぎょう〉の先に立ってつとめるので先達と申します。山道をよく知っている者を案内者と申します。わたしたちはどのような深山〈しんざん〉へでも行き、仏道〈ぶつどう〉にくわしい人にあって法を聞き、また仏道を知らぬ者に法を教えるのがつとめです。」
童子はすかさず
「お前のいうことはわかる。しかし、仏様の道を学んでいるというのに、どうして頭を丸め黒の衣〈ころも〉を着〈つ〉けていないのか。どうして両刀〈りょうとう〉をもっているのか。」
頼光が進み出て次のようにわけを話しました。
「わたしたちは師〈し〉とするものもないので山に入り、松の実〈み〉を食べて忍術〈にんじゅつ〉を学び、三十年間山を出ることがなかったので、かみもそらず、法衣〈ほうい〉を着〈き〉ることもありませんでした。そまつな衣〈ころも〉を着て、刀をもっているのは、あらゆる欲〈よく〉をくだくためのものでございます。」
童子はだまって聞いていましたが、
「このような山中なので何もないが、あるものでもてなしをせよ。それぞれの者たち。」
そうしているうちに、酒や肉をもりならべだしました。
そのとき、酒田〈さかた〉の公時〈きんとき〉が、大さかずきをもって出て一ぱい飲みほし、「こちらにも用意した酒がある。」といって酒をくみかわし、夜もたいそうふけたと思われるころ、童子は、たいへん深〈ふか〉よいしてそのままねてしまいました。
ところが、へやのすみには童子の家来〈けらい〉が一人ひかえていて、酒ものまず四方に眼をくばっています。
頼光が保昌に
「ころはよいぞ。」
というと保昌は
「もうしばらくお待ちください。あのくせものを生かしておいては、大事〈だいじ〉をしそんじます。」
といっているうちに
「山伏のかたがたは、こちらへ入ってお休みください。」
と、おくの一間を用意〈ようい〉し、六人をつれて行きました。
頼光〈らいこう〉はうなづき
「どなたかおられませんか。あまり飲〈の〉み食〈く〉いしたので、のどがかわきました。水を一ぱいください。」
というと、そのくせものが、うつわに水を入れて持って来ました。
頼光がその水を取ろうとしたのを合図〈あいず〉に、公時がくせものにとびかかって引き組み、頼光は童子のねているところへふみこみました。
頼光は童子の腹〈はら〉のうえにとび上り
「いかに酒顚童子よ。この頼光のいうことをよく聞け。この日本の国にありながら、おおぜいの人びとをなやましたつみは、のがれがたいぞ。」
と、刀で心ぞうのあたりをさし、苦しまぎれに雷〈かみなり〉の落ちるような声を出したところを、宝刀〈ほうとう〉の鬼切丸〈おにきりまる〉でその首をうちとりました。
頼光をはじめ保昌、四天王は
「めでたく引きあげよう。」
と酒顚童子の首を長いほこにさし、公時がこれをもってまっ先に立ち山を出ました。
帰陣〈きじん〉すると、日本国中たいへん喜びあったということであります。

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