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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 湯元〈ゆもと〉のお薬師〈やくし〉さん(芦屋市三条町)

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更新日:2012年11月19日

湯元〈ゆもと〉のお薬師〈やくし〉さん(芦屋市三条町)

天平〈てんぴょう〉のむかし名僧行基菩薩〈めいそうぎょうぎぼさつ〉は、芦屋に大きなお寺をたてました。法恩寺〈ほうおんじ〉といいます。本尊〈ほんぞん〉さまはお薬師〈やくし〉さんで、本堂はじめたくさんの建物は空にそびえ、とてもりっぱなものでありました。

このお薬師堂のそばに、潮湯〈しおゆ〉がわき出ていました。それは、紀州の熊野権現〈くまのごんげん〉さまの、神力によって、南のあたたかい海から、大阪湾をすぎ、芦屋の浦に潮〈しお〉が流れてきていたためであります。
潮すじは、高い潮見の松にのぼって見ると、虹〈にじ〉のように美しいものでした。この薬師さんのそばのあたたかい潮湯〈しおゆ〉は、六甲山の下を横ぎって、有馬〈ありま〉の湯と通〈つう〉じておりました。法恩寺を塩通山〈えんつうざん〉法恩寺というのもそのためであります。

有馬の温泉寺の僧〈そう〉たちは、芦屋の薬師堂に、毎月お参りし、おこもりして、お薬師さんをおがんでいました。それで芦屋の浜を、有馬の浦、有馬の潮〈しお〉ともいいました。
この法恩寺は、中世〈ちゅうせい〉の動乱時代に戦争のため焼けてしまいましたが、江戸時代のはじめ村の人たちは、ここに小さいお堂をつくって、お薬師さんをおまつりしました。このお薬師さんは、難病〈なんびょう〉を治〈なお〉し、イボをとってくれる仏〈ほとけ〉さまとして、村人の信仰〈しんこう〉は厚く、なかなかはんじょうしておりました。とくに、薬師堂のそばの、礎石〈そせき〉にある円柱形〈えんちゅうけい〉の穴に、いつも水がたまっており、この水をつけると、イボがコロリととれるというので、かなり参詣者〈さんけいしゃ〉がありました。

中世、法恩寺がほろぶとともに、潮湯も出なくなったようですが、今も、湯元のお薬師さん、湯元の松、潮見ざくらなどいうものが残っております。
ところが、この潮湯は、なぜ熊野の潮にかんけいがあり、六甲山の下をくぐって有馬に通じているのでしょうか、これは古代の人たちの信仰を考えるべきであります。奈良の二月堂〈にがつどう〉のお水とりに、若狭〈わかさ〉から流れてきている、井戸の水をくむ、という伝説があり、同じ興味〈きょうみ〉ある問題〈もんだい〉だろうと思います。

むかしの本に
「芦屋湯〈あしやのゆ〉兎原郡〈うばらごおり〉芦屋村にあり、俗〈ぞく〉にいう、往昔〈むかし〉ここに潮湯〈しおゆ〉湧出〈わきい〉ず、いま有馬の湯筋〈ゆすじ〉なりという、いつか退転〈たいてん〉していまは古跡〈こせき〉と成りて名のみあり…。」
「湯元〈ゆもと〉の薬師三条村〈やくしさんじょうむら〉にあり、塩通山〈えんつうざん〉と申す、当国〈とうこく〉有馬温泉の潮〈しお〉は、熊野権現〈くまのごんげん〉の神力〈じんりき〉にて、南海〈なんかい〉よりこの芦屋の浦に引き通〈かよ〉うという。往昔〈むかし〉は有馬温泉山の僧坊〈そうぼう〉、月次参籠〈つきなみさんろう〉してこの尊像〈そんぞう〉を拝〈はい〉す、後世〈こうせい〉伽籃〈がらん〉破壊〈はかい〉して、いま草堂〈そうどう〉となれり。むかしの松残り、よって湯元〈ゆもと〉の松という…。」
とあります。

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