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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 月若丸〈つきわかまる〉と藤栄〈とうえい〉物語

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更新日:2012年11月19日

月若丸〈つきわかまる〉と藤栄〈とうえい〉物語

今から七百年あまり昔のこと西芦屋に、芦屋藤左衛門尉家俊〈あしやとうざえもんのじょういえとし〉という豪族〈ごうぞく〉がありました。芦屋の里七百町あまりの大地主でありましたが、年老〈お〉いて病の床にふしていました。ひとり息子の月若丸が小さいのであとめ相続ができません。そこで、月若丸の叔父〈おぢ〉にあたる藤栄〈とうえい〉という者を呼んで「われなきあとは、よろしく月若の後見〈こうけん〉となって世話をたのむ。」と遺言〈ゆいごん〉してなくなりました。

藤栄は、月若丸を自宅にひきとって世話をしていましたが、元来心のよくない野心家であったので、たくみに月若丸をだましてその所領〈しょりょう〉を横領〈おうりょう〉してしまいました。
そして、月若丸をじゃま者あつかいにして逆待〈ぎゃくたい〉し、家からおい出してしまいました。月若丸は孤独〈こどく〉となり、悪人に味方するものたちに苦しめられて、毎日かなしい日を送っていました。
このころ鎌倉〈かまくら〉の北条時頼〈ほうじょうときより〉は、嫡子〈ちゃくし〉時宗〈ときむね〉に将軍職をゆずって出家し、最明寺入道〈さいみょうじにゅうどう〉といい、諸国〈しょこく〉の民情視察〈みんじょうしさつ〉を思い立って、修行僧〈しゅうぎょうそう〉に変装〈へんそう〉して旅に出ました。西国行脚〈あんぎゃ〉の道すがら、芦屋の里に足をとどめ、浜の塩屋で一夜の宿をとりました。
ところが粗末〈そまつ〉なこのとまや(とまぶきの家)に、にあわぬ気品の高い少年がいたので、ふしぎに思いようすを尋〈たず〉ねてみました。少年は、はじめは、つつみかくして答えませんでしたが、ついに月若丸であることを語り、系図〈けいず〉や重要古文書〈こもんじょ〉を示したので、時頼はたいへん同情して、藤栄の非情〈ひじょう〉をいきどおり、さっそくその動向〈どうこう〉をしらべさしました。

あくる日、藤栄は鳴尾〈なるお〉の長者の招待〈しょうたい〉で、芦屋の沖に船を浮べ、笛、太鼓〈たいこ〉に興〈きょう〉じていました。時頼は従者〈じゅうしゃ〉二人をつれ小舟にのって、なにげなく藤栄の舞を見物しておりました。やがて舟を近づけて「なかなかおもしろい、もうひと舞いを」と所望〈しょもう〉しました。
気のおごって(得意になっている)いた藤栄は、無礼〈ぶれい〉な修行僧の態度〈たいど〉に、大いに怒って、バチをもって打ちこらそうとしました。時頼はパッと笠をとり、大音声に「われこそは最明寺入道時頼なるぞ!前代未聞〈みもん〉の曲事〈まがごと〉なり!われ諸国をまわっているのは、かような在所〈ざいしょ〉政道を、たださんがためなり。」と、これを糾弾〈きゅうだん〉しました。
藤栄は流罪〈るざい〉、死罪にもなるところを、とくべつの慈悲〈じひ〉で家はそのままに許されましたが、月若丸の所領は全部返し、その後は心をいれかえて、月若丸のためつくしたので一家繁昌〈はんじょう〉したといいます。
今に残る月若屋敷や、藤栄屋敷はこの物語りをつたえたものであります。

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