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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 溝滝〈みぞたき〉(伊丹市)

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更新日:2012年11月19日

溝滝〈みぞたき〉(伊丹市)

むかしむかし、ずっとむかしのことでした。
伊丹の昆陽〈こんよう〉というところに、夫婦〈ふうふ〉もののお百姓〈ひゃくしょう〉さんが住んでいました。わりあいにお金持ちのお百姓さんでしたが、子どもがないので、いつも氏神さまへ「どうぞ、子どもができますように。」と、お願いしていました。そのかいがあったのでしょうか、申し子がころっと宿って元気な男の子が生れました。この子が七つのとしになったときのことです。
夜になると、外へあそびに出かけるらしく、おとうさんやおかあさんが目をさますと、いつも姿の見えない日がつづきました。
おとうさんもおかあさんも、いくら考えあっても合点〈がてん〉がいきません。ある日の晩に、おとうさんとおかあさんがねたふりをして、じっと子どものようすをみていますと、真夜中になって、父母のね顔をそっと眺めて起きあがると、部屋をぬけ出し、雨戸をくって外へ出ていきました。
「これはおかしいぞ、あとをつけてみよう。」
そう思ったおとうさんは、暗やみの中に見えたりかくれたりする子どものあとをつけて行きました。武庫川すじに出ると、とんとんと、土手〈どて〉をかけ上ります。それからずっと川をさかのぼって、生瀬〈なまぜ〉の浄橋寺〈じょうしょうし〉ばしの下あたりまでも、どんどん歩いて行くので、おとうさんはこわくなってしまいました。いきなり、うしろ向きになっていちもくさんに家へかけもどり、おかあさんにそのことを話してしまいました。
あくる朝になって、横を見ると、いつの間にもどったのか子どもがねていました。そこで、おとうさんとおかあさんは、子どもにむかっていいました。
「お前は、毎晩夜遊びに出かけるようだが、どこへ行くんや、じつはゆうべもお前のあとをつけたんや。生瀬の浄橋寺ばしのへんまで行ったとき、こわなって戻〈もど〉ったんや…。七つになるまでお前を育てたわたしにも、さっぱりお前がわからへん。いったいお前は何の生れかわりや。」
すると、子どもがいうには
「わたしは、神さまの申し子やということやが、ほんまは溝滝〈みぞたき〉の主〈ぬし〉や。どないしても毎晩、溝滝の水をのまんと生きていかれへんのや。夜中になると、からだがやけてやけて仕方〈しかた〉がない。これから、ひまをもろうて溝滝へ帰ろうと思うさかい…。長いことお世話になりました。ご恩返しに、もしうちの田が日やけしたとき、白い馬の首を切り、その血を二十四畳〈じょう〉じきの高座岩〈こうざいわ〉に塗〈ぬ〉って、あとの塗りがらを溝滝へほってください。それがわたしの好物〈こうぶつ〉やさかい。そしたら、ぎょうさん雨をふらしますよって…。」と、いいながら子どもは二人の前から姿を消してしまいました。
いまも、昆陽〈こや〉のお百姓さんの雨乞いは、そのことを書いた巻物〈まきもの〉を高座の岩の上で読〈よ〉みあげてからはじめられます。

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