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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 満仲天馬〈みつなかてんま〉(天空天馬)(川西市)

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更新日:2012年9月24日

満仲天馬〈みつなかてんま〉(天空天馬)(川西市)

秋の美しい紅葉〈こうよう〉がこずえをかわし、木の実がうれ、山の香がいっぱいにただよっていました。野うさぎがはね、山鳩〈やまばと〉がなき、平和の光がさんさんとふりそそいでいました。
このような静かな山里を、まいにち若武者がひとりの家来〈けらい〉をつれて、きまった時刻〈じこく〉に巡視〈じゅんし〉にやってくるのです。
馬はひづめの音もたかく、気おいだち、主〈あるじ〉も家来もこころよく汗ばんで秋の野山をかけぬけていきます。
この若武者とは、この多田〈ただ〉の庄〈しょう〉に館〈やかた〉を構〈かま〉えた源満仲〈みなもとのみつなか〉その人でした。

満仲は一族の大将として武芸〈ぶげい〉にはげみ、かずかずの武勲〈ぶくん〉(てがら)もたてていますが、自分の領内〈りょうない〉のまつりごとにも日夜心をくばっていました。その一つが、まいにちの領内の巡視〈じゅんし〉ということで、それが、川の水を治め、田畑を開き、鉱山〈こうざん〉の開発ということにもつながっていったのです。

その日は、多田の里をはずれ、一庫〈ひとくら〉をすぎ、渓流〈けいりゅう〉に沿〈そ〉い、なおも馬を進めていきました。紅葉の色がだんだんと濃くなり、道はばもせまいけもの道になり、ひざ深くおいしげる熊笹〈くまざさ〉をふみわけふみわけ進んでいきました。
うつりやすい秋の空は、墨〈すみ〉を流したようにうす暗くなり、家来はその日初めて山深く馬を進めていくことを、ふしぎに思い、館〈やかた〉へ帰られるよう声をかけようかと思ったとき、ふいに馬が何におどろいたのか棒だちになり、ひと声高くいなないたのでした。
山道とみえたけもの道は、そこでぷっつりとたち切れ、渓流〈けいりゅう〉を見おろす断崖〈だんがい〉に立っていたのです。
足もとの流れは、滝となって白いしぶきをあげ、岩にくだけ、うす日をすかして見える向うの岸には、まものが住むような真黒なほこらをぽっかりあけ、きみわるいようです。
「おおっ、きょうは山深くはいったものよ。」
小さくつぶやくと、馬の手綱〈たづな〉をひきしめ、おどろく馬の気をとりなし、なおも道を進みました。
空はだんだん暗くなり雨が降りだしました。雲は雲をよび、風はうずまき、はげしい雷雨にかわりました。
馬も人もずぶぬれになり、足もとの流れはいっそう荒れくるい、どうどうとうずまき流れています。
一歩ふみあやまれば、木の葉のようにおし流されてしまうでしょう。家来は、一刻〈いっこく〉でも早く館へ帰ることをすすめました。けれど満仲は
「いや、巡視〈じゅんし〉をするには、このような日こそ、いっそう大切なことじゃ。平和な日には平和な日として意義〈いぎ〉があり、まして荒れる日にはそれなりの、もっと大切なものがあるはずじゃ。人びとがどのようなことで困っているかを、しかと自分の目でたしかめたいのじゃ。」
といって、ずんずん先へ進んでいきました。

しばらくすると、さしもの荒れていた雷雨もおさまり、また秋のうす日が射〈さ〉しはじめました。
すると、ひとりの美しいむすめが行く道をふさぐようにあらわれました。
「この吹き荒れた日に、ごくろうさまでございます。さっきの雨でさぞお疲〈つか〉れでございましょう。よろしかったら巡視の一役にもたてていただきますように、この馬をおつかいください。」
といって一匹の馬をさし出しました。
みるとどうでしょう。この馬にはりっぱな角〈つの〉がありました。
満仲はよろこんで、この馬をうけとりました。
すると、むすめは一瞬〈いっしゅん〉に、神々しい観音〈かんのん〉さまの姿にかわりました。そしておごそかに
「なんじの、世を治めんとする心をためすため、雨を降らし、雷をならしてみたが、ひるまないその心に感心いたしたぞ。その馬にうちのり領内を治めよ。その馬は天馬〈てんま〉なるぞ。」
と、おおせられ姿を消してしまわれました。
満仲は、かたじけなさにひれ伏していましたが、やがてその馬にのり、ひとむちあてますと、天を駈〈か〉けぬけ、あっというまに館に帰ることができました。
それからは観音さまのおおせのとおり、天馬にのり、なおいっそう巡視にせいを出したということです。

その後、満仲公が八十三才で亡くなられたので、天馬を多田の聖山〈せいざん〉に放ったのですが、気の荒い野生の馬と争いをおこしても、負けることはなかったのです。
ところが、この馬はとても尾がながくて、地面に約五十センチメートルもひきずっていましたので、満仲の家来が
「あれでは足にまつわりついて、天馬のためには分〈ぶ〉がわるいだろう。野生の馬に負かされては、もったいない。」
と思い、尾をあげてやりました。ところがあべこべに、天馬は野生の馬に食いころされてしまいました。
家来は、反対の結果〈けっか〉になったことを後悔〈こうかい〉して、死んだ天馬をねんごろにほおむりました。そこに小さな滝があったので「駒〈こま〉が滝〈たき〉」といい、天馬をほおむったところを「駒塚〈こまづか〉」といいました。

天馬は死んだ後も多田の里に何か異変〈いへん〉があると、駒塚から夜な夜な光を出して、里人にそれを伝えたともいわれます。
この滝にうたれ、駒塚に参拝〈さんぱい〉すると、とくに水に関する願いごとは、よく聞きとどけてくださるそうです。
駒塚は馬頭観音〈ばとうかんのん〉ともいわれ、毎年四月十八日が祭日であり、いまも参詣〈さんけい〉におとずれる人がいます。

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