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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 金兵衛車焼け車(芦屋市山芦屋町)

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更新日:2012年6月1日

金兵衛車焼け車(芦屋市山芦屋町)

芦屋川の水車谷には、灘〈なだ〉の酒米をつく水車が、何十となくコトンコトンと動いていました。灘〈なだ〉の清酒は、昔から京都の御所〈ごしょ〉へも献納〈けんのう〉され、江戸の幕府へも納められるので、大へんていちょうに取りあつかわれ、その酒米をつく水車にはとくべつの格式があたえられていました。

芦屋の里、城山のふもとに「金兵衛車〈きんべえぐるま〉」という水車がかかっていました。ある年丹波の方から選ばれた一人の青年が、ここへはたらきにくることになりました。その青年には、幼い時から、兄妹のように親しくしていた娘がありました。娘は、このことをきいて大へんおどろき悲しみ、何とかして、このご下命〈ごかめい〉をおことわりするようお願いしました。しかし、若い二人の弱い力ではどうすることもできませんでした。出仕〈しゅっし〉は一家一門の光栄であり、村の面目〈めんぼく〉にもかかわる大切な任務であります。

ある日、青年は娘とつきぬ別れを惜んで、しおしおと故郷を立ち、山を下り、谷をこえて遠い芦屋の里にたどりつきました。さっそく、金兵衛車をたずね水車の主人に面接〈めんせつ〉しました。主人は謹厳〈きんげん〉な面持ち〈おももち〉で、この車の格式のあること、酒米の尊い〈とうとい〉ことなど、こんこんと聞かせ、水車小舎〈ごや〉へ入る前には、芦屋川の水を浴びて身をきよめること、いったん小舎にはいると、つき終わるまでは、決して外へ出てはならぬこと、また米をついている間は、誰ともむだ話をしないことなど、こまごまと注意をあたえました。青年は、主人の言葉どおり、斎戒沐浴〈さいかいもくよく〉(心身を清めること)して、水車に入りただもくもくと働きました。丹波の郷〈さと〉の娘は、悲しみとやるせなさに苦しい日を送っていました。彼女の両親は、娘の心を察し気持ちをかえさせようと、他家へ早く嫁入りさせようとしました。娘は悲しさのあまりついに家出し、野をこえ山をこえ夢中で芦屋の里にたどりつき、すぐ金兵衛車をたずね、その戸をたたきました。しかし主人は、ただ黙まってとりあってくれません。その後、いくたびもいくたびもたずねましたけれど、青年にあうことができませんでした。

彼女の心は、しだいに乱れはじめ、ついには半狂乱〈はんきょうらん〉となって、毎日泣きくらしました。十日ほど後に、破れた衣〈ころも〉を身にまとい、髪をふり乱し、ハダシのまま山や谷をかけまわっている彼女の姿を、里人は見ました。
細い雨がしとしとと降って、武庫〈むこ〉の山やまが濃い霧〈きり〉につつまれたある夜のこと、彼女は、どこで手折ってきたのか、二朶〈だ〉のサカキを手にもって、わけのわからぬ呪文〈じゅもん〉を、となえながら水車のまわりをかけまわっていました。

やがて、彼女のからだからふしぎな青白い光が出始め、そのあやしい火は、しだいに大きくなって一塊〈ひとかたまり〉の怪火となり、フワリフワリと空中にまいあがりました。その夜のことであります。金兵衛車は、一夜のうちに全く焼けつくされて、灰じんとなってしまいました。


うわさをきいて、あちらこちらから、里人が集まったころは、黒い灰が不気味につみかさなって、うしろの城山では、カケスドリがギャアギャアと鳴いていました。この時から、主人も若者もこの里から姿を消してしまいました。そののち、里人は誰というなく「金兵衛車焼け車」と呼び、わらべ唄にも口ぐちに「金兵衛車・焼け車」と唄うようになりました。

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