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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 矢間の雨乞い地ぞう(川西市)

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更新日:2012年6月1日

矢間の雨乞い地ぞう(川西市)

むかし、矢間〈やま〉という村(川西市矢問)は、そばに猪名川〈いながわ〉が流れていて、青々とした田んぼにおおわれていました。

秋には黄金〈こがね〉の穂〈ほ〉が稔り〈みのり〉、村人たちは恵まれた生活を送っていました。

ところが、いつのころからか、干ばつ〈かんばつ〉がこの地方をおそうようになりました。以前は、何年めかにおそっていた干ばつもここ数年の間は、ほとんど毎年のようにおそうようになりました。村の人たちは、この干ばつの恐怖〈きょうふ〉にさらされながら、やっとの思いで生活をするようになりました。

いまや矢問村は、昔のように青々とした田んぼは見る影もなく、からからにかわき、農作物〈のうさくぶつ〉は枯れ〈かれ〉てしまい、みるも無残〈むざん〉なありさまでした。

こんなことがつづいたある年、村のおもだった人びとがあつまり、いろいろと相談をしました。

「こう日照り〈ひでり〉がつづいたんじゃ、村を捨てて出ていくものが増えるばっかりじゃ。このままやと、矢問村はさびれてしまう。なんとかせなあかん。」
「なんとかするいうても、相手がおてんとう様とあっちゃあ、どうにもならへん。」

「困ったもんや、今年も、もうすぐ田植じゃというのに、こんなお天気だとなあ。矢問の池には、もう水はあらへん。猪名川の水もほとんどあらへん。このままやと、今年は飢え〈うえ〉死にする者が出るかも知れへん。」

困った困った。と集まった人びとは頭をかかえこんでしまいました。

かなわぬ時の神頼み〈かみだのみ〉、と人びとは雨乞い〈あまごい〉をすることにしました。野原の真ん中に薪〈たきぎ〉を積み上げ、それに火をつけ、どんどんと燃やし〈もやし〉つづけました。炎は人びとの願いをこめて、空高く燃えつづけましたが、雨が降る気配〈けはい〉はありません。

村人は、こんどは祭壇〈さいだん〉をつくり、そのまわりを一心不乱〈いつしんふらん〉に祈りつづけました。しかし、これもなんの効き〈きき〉めもありませんでした。

人びとは、絶望的〈ぜつぼうてき〉な気持になりながらも、あちらこちらの神様に祈りつづけました。しかしなんということでしょう、くる日もくる日も、上天気でした。

そんなときでした。村の長老役〈ちょうろうやく〉をしていた人のひとりが、矢問の池のそばで、雨に打たれて立っている、お地ぞうさんの夢をみました。そのお地ぞうさんは、どこかで見たことがあるのですが、どうしても思い出せません。長老は、思い出そう、思い出そうとしながら、きょうもあてもなく歩いているうちに、矢問村にある、滝門堂〈りゅゆうもんどう〉というお寺の前にきました。

「あっ、そや、ここのお地ぞうさんや。夢に出てきたお地ぞうさんは、この寺や。」と、思わず叫びました。お寺の中へころがり込むようにして入った長老は、そこにある地ぞうさんの前に立ち、「うーん、間違いなしや、これや。」と、大きくうなづきました。

長老は、さっそく村人たちを集め、この話をしました。村人たちは、この話を聞いておたがいに顔を見あわせ、「こんどは雨が降るかも知れへん、お地ぞうさんが知らせてくれはったんや。間違いあらへん。」と口々に話しあいました。

長老は、「みなさん、これが私たちの最後の頼みや、私はこのお地ぞうさんを背負う〈せおう〉て、池のまわりを廻り〈まわり〉ます。みなさんは、池のそばで、しっかり祈っておくんなはれや。」

こういった長老は、高さ二十七・八センチ、幅二十センチ、厚さ十五・六センチほどのお地ぞうさんを背負い、「雨降れよ滝門堂、雨降れよ滝門堂。」と、くり返し、くり返し、矢問ととなり村の西多田の境にある「赤池〈あかいけ〉」のまわりを、祈り歩きました。

村人たちも全員集まって、池のそばで、たいまつを振り〈ふり〉かざしながら、一心に祈りました。夜明けから祈りはじめ、そのまま夜になっても祈りつづけました。

その夜は星が出ていて、雨など望めなそうもない空もようでした。村人たちの心は動揺〈どうよう〉しました。

いったい、いつになれば雨が降るのだろうか。

最後の頼みの綱〈つな〉、と願ったこの雨乞いも駄目〈だめ〉なんだろうか。

これで雨が降らなければ、もう村を捨てるほかはない。先祖〈せんぞ〉から伝わったこの土地を離れる〈はなれる〉ことは、とてもつらいことだが、生きていくためには、これも仕方がない。

年寄りたちはどうなるのだろうか。
子供たちを育てていけるだろうか…。
人びとの思いはいろいろですが、悲痛〈ひつう〉な思いは皆同じ〈みなおなじ〉です。村人たちの頬〈ほほ〉は、涙でぬれていました。

そして朝がおとずれました。なんと雲ひとつないお天気です。人びとは絶望的〈ぜつぼうてき〉な気持でした。いっぽうお地ぞうさんを背負って、赤池のまわりを祈り歩いている長老は、空腹と疲れでフラフラする体を必死に支え〈ささえ〉ながら、「雨降れよ滝門堂、雨降れよ滝門堂。」と、声にならぬ声をふりしぼり、いまにも倒れ〈たおれ〉そうになるのをこらえながら、祈りつづけています。

村のおもだった人たちの中のひとりが、見るにみかねて、長老のそばにかけ寄り〈より〉、「このままやと、あんたは死んでしまう。私が替る〈かわる〉から、少し休んどくなはれ。」といいました。すると長老は、「いや、かまへん。これが、長老の役目や。」と、いいました。そばにかけ寄った人も、つづけていいました。

「そんなこというたかて、死んでしもたら、元〈もと〉も子〈こ〉もあらへん。替りまひょ。」
「いや、かまへん。かまへんのや。」
長老はとつぜん大声を出して、「皆さんや。まだ、あきらめたらあかへん。雨が降らなんだら、わてらは死んでしまうんや。どうせ死ぬなら、いまここで死んだ気になって、祈らなあかへん。」と、いいました。人びとは、この長老の命がけの態度〈たいど〉に心を打たれ、「そやそや、長老さまのいうとおりや。」と口々にいいながら、ふたたび一心不乱に祈りつづけ出しました。

そして昼すぎ、突如〈とつじょ〉として大空の一角〈いっかく〉に黒い雲が現われたとみるや、みるみるうちに空一面〈いちめん〉にひろがり、疲れきった長老をはじめ、村の人びとの頬に大粒の雨が、ひとつ、ふたつ、みっつ。人びとは驚いて〈おどろいて〉空を見上げました。一粒〈ひとつぶ〉、二粒〈ふたつぶ〉と落ちてきた雨粒〈あめつぶ〉は、たちまち大雨となりました。村人たちは狂喜〈きょうき〉し、天を仰ぎ〈あおぎ〉地に伏し、涙を流して「お地ぞうさんのお陰〈かげ〉や。お地ぞうさんのお陰や。」と、喜びあいました。

雨は夜になってもやみません。人びとはなおも祈りつづけました。雨は、その翌日も降りつづいたのです。矢問の赤池の水は、いっぱいになり、猪名川の水も河幅〈かわはば〉いっぱいになりました。からからに渇いて〈かわいて〉いた田んぼにも、水があふれんばかりとなりました。

人びとは、滝門堂の地ぞうさんの霊験〈れいげん〉あらたかなことを、まのあたりにみて、それからは、この村では、このお地ぞうさんを“雨乞い地ぞう”と、呼ぶようになり、滝門堂にていねいにお祭〈まつ〉りしました。

その後、この村では、干ばつの時はこの地ぞうさんを背負って雨乞いをすると、不思議〈ふしぎ〉に雨が降ったとのことでした。

この話は、宝塚のほうの村々にも伝わり、その地方が干ばつにおそわれたとき、この矢問のお地ぞうさんを借りにきたそうです。

さて、この雨乞い地ぞうは、今でも川西市矢問の滝門堂にあります。土地の人びとは、この雨乞い地ぞうのいわれを、今でも語り伝えていますが、一説に、この地ぞうが甲斐〈かい〉の国(山梨県)、武田信玄〈たけだしんげん〉の守り〈まもり〉本尊〈ほんぞん〉であると伝えられています。しかし、いつどうしてそうなったのかは、何もわかりません。

記録によると、雨乞い地ぞうの由来〈ゆらい〉のあとに、ただ一行〈いちぎよう〉、「甲斐の国、武田信玄の守り本尊ともいう。」
と、あるだけです。

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