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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 昆陽寺の鐘を盗まれた話(伊丹市寺本崑崙山昆陽寺)

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更新日:2012年6月1日

昆陽寺の鐘を盗まれた話(伊丹市寺本崑崙山昆陽寺)

平安時代〈へいあんじだい〉の終りごろに書かれた「今昔物語〈こんじゃくものがたり〉」や、鎌倉時代〈かまくらじだい〉にできた「十訓抄〈じっくんしょう〉」という昔話の本の中に、昆陽寺〈こやでら〉の鐘〈かね〉を盗まれた〈ぬすまれた〉ことがおもしろく書かれています。

むかし、摂津国〈せっつのくに〉にこやでらというお寺がありました。あるとき、このお寺に七十才ばかりのお坊さんがやってきました。
「私はこれから京都の方へ行くつもりですが、体がすっかりつかれてしまい、もう一歩も動けなくなってしまいました。どうか、お寺の隅〈すみ〉の方で体を休めさしてくださいませんか。おたのみします。」「それはお気の毒ですが、この寺には、あなたをお泊め〈おとめ〉するようなところはございませんが。」「いや、どこでもかまいませぬ。つかれているので早く休ましていただきたいのです。あの鐘の下ではどうでしょうか。」「あなたさえよろしければ、鐘の下ならよいでしょう。あそこでごしんぼうくださいますか。」というようなぐあいで、そのお坊さんが鐘つき堂にとまりこむことになりました。

そして次の日、寺の鐘つきが鐘つき堂をのぞいてみると、そこには旅のとしおいたお坊さんが、ながながとのびているではありませんか。
「もしもし、どうかしたのですか。」と声をかけても、いっこうに返事がありません。それもそのはず、お坊さんはもう死んでいたのです。さあたいへんです。おどろいた鐘つきは、寺中のお坊さんたちにそのことをふれてまわりました。
寺中のお坊さんたちが、次ぎ次ぎと集ってきました。そして「死体を早くかたづけなくては。」「その前に身元〈みもと〉の方はしらべたか。」などとさわいでいるところへ、二人の男がやってきました。


そして「この寺に、としよりの坊さんがこなかったか。」とたずねました。
「としよりの坊さんなら、鐘つき堂で、けさ死んでいました。」それを聞くなり、男たちは泣きくずれてしまいました。
「そのとしよりこそ、私たちの父でございます。ちょっとしたことから家をぬけ出していたので、あちらこちらと、さがしまわっていたところです。なんともなさけないことをしました。」と、なおも泣きつづけました。

さて、その夜になって、四、五十人もの人びとが集まり、としよりのお坊さんのなきがらを、はこび出していきました。
寺のお坊さんたちは、かかわりをおそれて、夜のおつとめによねんがなかったのです。
やがて、集ってきた男たちは、お坊さんの死がいを、寺のうらの松林の中に運びこんで、夜どおし大きな声で念仏〈ねんぶつ〉をとなえていました。
そして、一夜があけました。
鐘つきが鐘をつこうとして、鐘つき堂にきてみますと、鐘の姿は消えてしまい、ふしぎに思って葬い〈とむらい〉をした松林にきてみると、鐘はそこでさんざんに打ちくだかれて、どこかへ運び去られてしまっていたという話です。

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