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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > キツネだった桜翁〈さくらおう〉(西宮市)

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更新日:2012年11月19日

キツネだった桜翁〈さくらおう〉(西宮市)

西宮といえば、まずお酒づくりの土地として有名なところです。今でも海岸よりの今津〈いまづ〉、用海〈ようかい〉、浜脇〈はまわき〉といった所には新、旧〈きゅう〉の酒倉〈さかぐら〉が、細い道をへだてて立ちならんでいる所があります。

さて、話はもうずいぶんむかしのことになりますが、今津の浜に、鷲尾〈わしお〉・千足〈ちあし〉・飯田〈いいだ〉などという大きな酒づくりの家がならんでいました。
それらの家のだんな衆〈しゅう〉や、ごいんきょさんたちは、みな、ひまで仕事といってすることもないので、一日中“碁〈ご〉”をうってすごすというのんきさでした。

ところが、この家々にいつごろからか、ひとりの品のよいおじいさんが出入りするようになりました。
話はおもしろいし、あいそもよいので、ごいんきょさんをはじめ家の下男たちにまで、好かれるようになりました。毎晩どこかのおやしきにきては、だんな衆や、ごいんきょさんの碁のお相手をし、ちょうど一週間ぐらいで、全部の家をひとまわりすることになるのですが、どのおやしきでもかんげいするぐらいでした。
なまえは“桜翁〈さくらおう〉”という、書〈しょ〉か、俳句〈はいく〉の先生といった号(呼び名)で、医者をしごとにしているようです。今津の人たちは、尊敬のきもちさえ持つようになっていました。

ただ、お酒が大へん好きで、碁をうち終わると、帰るときには、蔵〈くら〉からくんでもらったお酒を、ひしゃくに一ぱい、ぐっとうまそうに飲み、顔を桜色にそめ、老人とは思えない張〈は〉りのある声で、うたいなどをくちずさみながら、夜道をよろよろと帰っていくのが常〈つね〉でした。
そのころの今津の浜は、さきにもいったように見上げるような高い酒蔵が、軒〈のき〉をならべてぎっしりと建りていました。今のように街燈〈がいとう〉があるわけでもありません。暗くて危ない日など、下男が「お送りしましょう。」と申しでることもありましたが、いつも「いや、けっこう、けっこう。」と手をふって、かたくことわりました。だれも、桜翁がどこへ帰って行くのかは知りませんでした。

ある晩のことでした。いつものように碁を打ち、酒を飲みほした桜翁は、あがり口に腰をおろし、ぞうりをはこうとして、すみの方に下男がしかけていたねずみ取りのえさの油〈あぶら〉あげに、キラリと目を光らせました。そして、老人とは思えぬすばやさでそれに手をのばしました。
バタン!大きな音がして、ねずみ取りのしかけは桜翁の手をはさんでしまいました。
「ギャーッ」
すざましい悲鳴〈ひめい〉に、下男はびっくりして走りよりましたが、恐ろしいいきおいで、おも屋の裏庭を走りぬけ、酒蔵にとびこむ桜翁らしいうしろ姿を、チラッと見ただけでした。この気味の悪いできごとに、家じゅうは大さわぎになりました。下男たちが呼び集められ、ちょうちんを手に手に桜翁のすがたをさがしまわりましたが、広くて暗い酒蔵の中です、さがしだすことはできませんでした。

翌朝、酒おけを見てまわっていた下男が、背よりも高いおけ一ぱいの酒のなかに、大きなキツネが一ぴき浮かんでいるのをみつけ、大声をあげてみんなを呼びました。その前足には、ねずみ取りのしかけが、がっちりとくいこんでいたのです。
桜翁はキツネだったのです。
上品な老人になりすまして、人間たちと遊んでいましたが、たった一まいの油あげのためにせっかくの命をなくしてしまったのです。やはり根は畜生〈ちくしょう〉でした。それにしても、別に悪いことをしたわけではないし、酒が好きなばかりに、たずねてきては碁の相手をつとめただけのことです。

今津の人たちは、この大キツネをかわいそうに思い、ていねいにほおむってやりました。桜稲荷大明神〈いなりだいめようじん〉のほこらは、今も、津門〈つと〉の浄願寺〈じょうがんじ〉の西どなりにあります。せまいけいだいですが、赤いとりいがたくさんならんでいるのですぐわかります。おそらく、土地の人びとは、商売はんじょうの守り神として、大切にまつったのでしょう。

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