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更新日:2012年6月1日

名月姫(尼崎市)

尼崎市の尾浜〈おはま〉の町にある八幡〈はちまん〉神社の境内〈けいだい〉に忘れられたように立つ、高さ五尺(約一メートル六十五センチ)あまりの石塔〈せきとう〉、その名は名月姫の塔といいます。

その塔は静かに語りました。彼女の昔々の悲しいものがたりを…

「私はずい分昔に生れたのです。そうですね。ざっと八百年も前のことでしょう。まだ平清盛〈たいらのきよもり〉のお父さん忠盛〈ただもり〉が力を持っていたときです。私の父は三松刑部左衛門尉国春〈みまつぎょうぶさえもんのじょうくにはる〉といってこのあたりの豪族〈ごうぞく〉でした。父は自分に子供がないことを悲しんで、いつも、子供が欲しい子供が欲しいという気持から、母とともにあの鞍馬山〈くらまやま〉に登って一週間の願をかけたのです。その七日目の夜、父国春は、夢の中でおつげをうけ、その後、しばらくして私の母は、私をみごもったのです。そして久安〈きゅうあん〉二年(一一五六)八月十五日、美しい月の夜に私は初声〈うぶごえ〉をあげたのです。父母は待ちに待った子供が生れたので、天にものぼる気持だったと、物にふれことにつけ語ってくれました。そしてこの名月にちなんで名月姫と名づけられました。

それから私たち一家は幸福〈しあわせ〉な日がつづきました。

年を経て〈へて〉、自分でいうのもおかしいですが、鏡にうつる自分の顔にうっとりするほどでした。でも悲しいことに幸福はいつまでもつづきませんでした。

私は能勢〈のせ〉の蔵人家包〈くらんどいえかね〉に奪われて、その妻にされてしまったのです。その時のことは、思い出すだけでもぞっとするような気がします。やさしい父母から離れて、薄暗い牢〈ろう〉の中にいるような気持の毎日でした。そして涙に明け暮れした日を重ねていました。一体父母はどうしているだろうかと、心は絶えず父母の里のうえをさまよっていました。そうするうちの或夜のこと、夢にあらわれた父は自分の悲しい運命を語ったのです。

『娘、名月姫よ、わしは今、囚人〈しゅうじん〉の身として兵庫にいる、お前が去った後、わしは僧となって西国〈さいごく〉をまわっていたが、運悪く、清盛が兵庫に港を築こうとしたが工事がうまく行かない、そのため三十人の人柱〈ひとばしら〉を海神にささげることになったのじゃ、その時わしは三十人目の通行人として兵庫に入ったのじゃ、わしは間もなく海神にさざけられる。娘、名月姫よ、兵庫にきたりて、わしを救え―。』と、私は驚きと悲しみで胸をつきあげられ、ただ父に会いたいの一心からこわさも忘れて、一人家を抜け出して兵庫へ走ったのです。み仏は私を救ってくれました。清盛にかわいがられていた松王丸〈まつおうまる〉は、たった一人の名誉〈めいよ〉のためにたくさんの命が失われるのを嘆いて〈なげいて〉、人柱を救けようと〈たすけようと〉されていたのです。

私は松王丸に会い、父を救けてくれることを願いました。松王丸はとうとう自分を犠牲〈ぎせい〉にして三十人の人柱を助けてくれました。私は父に会えた喜びと、松王丸を失った悲しみの二つの気持を抱いたまま御津松〈みつのまつ〉とよばれていたこの尾浜に帰ってきました。しかし、父は間もなく旅のつかれと、気のゆるみから病に倒れ、私に見守られて世を去りました。私は父を助けた松王丸も去り、心の柱とも頼む父も死に、家包のもとへ帰ることも自分で許せず、とうとう父の後を追って自害してしまいました。

現在は土台だけ残されたこの石塔の下で、八百年の歴史が眠っているのかと思うと、何か物悲しく感じられました。

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