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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 鹿塩〈かしお〉の里(宝塚市)

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更新日:2012年10月22日

鹿塩〈かしお〉の里(宝塚市)

甲山〈かぶとやま〉のふもと仁川〈にかわ〉の下流に、鹿塩〈かしお〉という里〈さと〉がありました。奈良朝のころです。
この里の熊野〈くまの〉神社のお祭には毎年、春日大社の使いが、お供物〈くもつ〉をもってくるのがならわしになっていました。

ある年のことです。祭太鼓〈だいこ〉によびよせられるように、奈良春日の里から使いの雌鹿〈めじか〉と雄鹿〈おじか〉の二匹の鹿がお供物を背中いっぱいつんで、はるばるとやってきました。使いの二匹の鹿は、お供物をちゃんと神さまにさしあげ自分の任務をはたしました。そのお礼にといって、めずらしいご馳走をふるまってもらいました。お祭りをよろこぶ村人たちといっしょになって、楽しく踊〈おど〉り舞っていました。そうした楽しいお祭りの最中、雌鹿がいなくなってしまいました。それにびっくりした雄鹿は、あちらこちらを探しまわったけれども見あたりません。それでも、夜も昼も雌鹿を呼びもとめて、なん日も過ぎました。そんな雄鹿の姿をみた村人たちは、みんなあわれに思い涙をこぼしたほどでした。

空腹と疲労〈ひろう〉そのうえ悲しみに打ちひしがれた雄鹿は、水を求めて、つかれたからだをひきずるようにして井戸を探しあてました。水を飲もうとして中をのぞくと、探していた雌鹿の姿がうつっていたではありませんか。たしかにそうみえたのです。あまりのうれしさに、井戸の中に自分の身をおどらせてしまったのです。井戸の水面にうつった自分の姿を、雌鹿と見あやまってしまったのでしょう。かわいそうに雄鹿はおぼれ死んでしまったのです。

これを知った村人たちは大そう同情して、雄鹿の屍〈かばね〉をていねいに塩でとりまいて、春日神社へ送りとどけました。それからこの土地の名を鹿塩〈かしお〉の里とよぶようになりました。
その鹿ののぞきこんだ井戸は“鹿の鏡井戸”とよばれるようになったそうです。

(川端道春氏資料提供)

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