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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > ねむり観音〈かんのん〉さま(宝塚市)

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更新日:2012年9月24日

ねむり観音〈かんのん〉さま(宝塚市)

宝塚市の山本の北、長尾山の南に泉流寺〈せんりゅうじ〉というお寺があります。昔はなかなか大きなりっぱなお寺でありましたが、今では観音堂〈かんのんどう〉が残っているだけです。
ここの観音さまは、聖徳太子の作だと伝えられています。
むかし、西国三十三か所観音霊場〈かんのんれいじょう〉の札所〈ふだしょ〉をきめられるとき、二十三番の札所勝尾寺(箕面市)と二十四番札所の中山観音寺の間にはさまれていた泉流寺の観音さんは、どうしたことか、お眠〈ねむ〉りになっていました。いくら起こしても目をさまさないので、霊所をいやがっているものと思い除〈のぞ〉かれたそうです。やがて、目がさめた観音さんはそのことを聞いて、じだんだふんでくやしがったがあとのまつりでした。このことを知った善男善女〈ぜんなんぜんにょ〉は気の毒に思って、それ以来「ねむり観音」と名づけたそうです。眠〈ねむ〉り病〈やまい〉に効〈きき〉めがあると信じられて、お参りする人がひっきりなしにつづいたそうです。

むかし、この泉流寺にえらいお坊さんが住んでいました。
あるときのこと、その和尚〈おしよう〉さんが「ソラッ、いま能登〈のと〉の本山(総持寺〈そうふじ〉)が火事じゃ、早く水をまけ!。」と、小僧さんに命じて、前栽〈せんざい〉へ水をまかせました。
これを見ていた人びとは、和尚さんは妙なことをするものじゃ。気でもちがったかなと不審〈ふしん〉に思っていました。
ところが、いく日かたったある日、能登〈のと〉の本山からお使いのお坊さんがこられて、「過日失火〈しっか〉のときは大へんご尽力〈じんりょく〉にあずかりました。おかげさまで早く火を消すことができ、大ごとにならずにすみました。」とあつくお礼をいって帰られましたとか。
そこで人びとは、和尚さんの法力に驚いていまさらながら感心したと口々にいったそうです。

このお坊さんは、人相〈にんそう〉をよく見てその運命〈うんめい〉を判断〈はんだん〉するとの評判〈ひょうばん〉が高かったそうです。
あるとき、寺の前の道をとおる人を呼びとめて、「あなたの寿命〈じゅめょう〉はもうあとわずかしかない。お気の毒なことです。×月×日が命の終わるときじゃから、その用意をなさるがよい。」とつげました。
その人は、日ごろから信頼していたお坊さんからいわれたので、“これは”と驚いて、その夜、いっ心に考えたすえ心がいっぺんに変わってしまいました。それまでは金を貯めることに熱心で、そのうえ村一番の働き者としての評判が高い男でした。が、それからというものは「同じ死ぬなら楽せな損〈そん〉や。」とプッツリと仕事もしなくなり、思うぞんぶんぜいたくに暮しました。そんな暮しをしていましたから、とうとう、祖先からの家屋敷までも売りとばして、まったくの裸一貫〈はだかいっかん〉になってしまいました。
そして、和尚さんが予言〈よげん〉した日がくるのを待っていました。
いよいよその日がきても、ねっから死にそうにもありません。とうとう、その日は何のこともなくすんでしまいました。
そこで、その人は和尚さんに「サア、どうしてくれる?」と文句をいいました。そしたらお和尚さんは、「そなたの財産〈ざいさん〉は、罪〈つみ〉つくりによってたくわえたものだ。今、たくさんの財産をなくしたことは、罪ほろぼしをしたことになるのじゃ。だから命拾いしたわけじゃ。」といったそうな。
(坂上文男氏資料提供)

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