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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 良蓮寺物語〈りょうれんじものがたり〉(伊丹市緑ケ丘四丁目伊丹廃寺跡)

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更新日:2012年10月22日

良蓮寺物語〈りょうれんじものがたり〉(伊丹市緑ケ丘四丁目伊丹廃寺跡)

文武〈もんむ〉天皇の大宝〈たいほう〉三年(七〇三)というと、いまから一千二百年も昔のお話ですが、そのときの大臣に藤原不比等〈ふじはらのふひと〉という人がありました。
わるいことに足を病〈や〉んで(いまの神経痛〈しんけいつう〉のような病気)たいへんくるしんでいました。そこでお側〈そば〉の人びともしんぱいして、お医者〈いしゃ〉のまだない時代〈じだい〉ですから、行基僧正〈ぎょうきそうじょう〉をまねいて相談〈そうだん〉することになりました。

行基という方は、たいへんりっぱなお坊さんで、日本ではじめて大僧正の位〈くらい〉につき、伊丹の昆陽寺〈こんようじ〉を建〈た〉てた方です。
「大臣はたいへん足がいたむようですが、なんとかてあてをして、早く楽にすることはできないものでしょうか。」
ジーッと目をつむって、かんがえていた行基さんは、
「早くといわれても、そうかんたんになおすことはむずかしいと思いますが、まあおまかせください。さいわいに、私のひらいた有馬〈ありま〉に、そういう痛〈いた〉みによくきく湯〈ゆ〉がありますから、しばらくその湯につかって、ようじょうしてみてください。これから私がごあんないしましょう。」
そこで、大臣をかごにのせ、お坊さんがつきそって、西国街道〈さいこくかいどう〉を京都〈きょうと〉から有馬にむかってくだることになりました。
猪名川〈いながわ〉を渡し舟でわたると、ゆるやかな坂道〈さかみち〉がつづき、やがてひろい岡にのぼり、ながめがきゅうにひらけます。
と、片方〈かたほう〉におおきな池があって、いましも白蓮〈びゃくれん〉の花ざかり、なんともいえない美しさでした。
お坊さんは、かたわらの、おおきな石をみつけて
「大臣、たいへんおつかれになりましたでしょう。すこしここで休んで美しいけしきでもながめてまいりましょうか。」
「それがよい。かごの中はきゅうくつで、すこしつかれました。それに、足がまたいたんできたようですから。」
と、かごを出て、けらいたちがじゅんびしてくれた石の上のもうせんに足をのばしました。
「僧正、これはたいへんなながめですね。ここは、なんというところですか。」
「さよう、このへん一たいは、猪名野〈いなの〉ささはらといって、たいへんけしきがよいところです。むこうにみえる岡〈おか〉がよろずよがおかといって、上へのぼると、ながめは一だんです。」
と話をすすめていると、
アーラ、ふしぎや。にわかに池がざわめき、白蓮の花がまばたいたかと思うと、黒雲にのった竜〈りゅう〉があらわれ、アレヨ、アレヨとさわいでいる中に、高く高く天にのぼっていきました。
ふと、われにかえった大臣は
「僧正、みられましたか。これはたいへんな、よいきざしです。このようなところこそ、お寺をたてるにふさわしいところです。天がわれらに、それをおしえたのです。どうです。僧正、ここにお寺をたてましょう。」
とそうだんがまとまり、名残〈なご〉りおしそうにたちあがって、有馬の湯にむかってしゅっぱつしました。
そして、有馬の湯につかってそのかいがあり、まもなく大臣の足の痛みはなおりました。
これを大へんよろこんだ大臣は、さっそく僧正と力をあわせて、お寺をたてることにしました。
三年ののち、お寺はできあがりました。
さて、この寺はなんと名をつけよう。
「池の主〈ぬし〉が天にのぼったから、山号〈さんごう〉を主池山〈しゅちざん〉。寺号〈じごう〉を良蓮寺〈りょうれんじ〉ときめよう。」ということになり、長く栄えていきました。

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