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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 水神さんと鱶切岩(芦屋市奥山)

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更新日:2012年6月1日

水神さんと鱶切岩(芦屋市奥山)

芦屋川をさかのぼって行くと、家ほどもある大岩が山のふもとに横たわっています。昔出雲族〈いづもぞく〉が、芦屋に移ってきたとき、長い旅のつかれでのどがかわき、この大岩で休んでいると、岩の下からこんこんと清い水がわき出てきました。


出雲族は、ここに水神さんをおまつりして、この里に水のたえぬよう祈りつづけたのであります。しかしこの里にもかんばつはまぬがれませんでした。
日照り〈でり〉がながくつづくと水はかれ、農民たちは、水ききんになやまされるのでありました。こんなときには、村の代表者は水神さんにおこもりして雨乞い〈あまごい〉をするのであります。そうするとたいていは数日で雨が降りますが、ときにはいくらおこもりして、お祈りしても雨がふらないときがあります。そのときは最後の手段として、「フカ切りの行事〈ぎょうじ〉」をします。弁天岩〈べんてんいわ〉のすぐ下に長方形の大岩が、川の中にはとんど水平に横になっており、里人はこれを「まないた岩」また「フカキリ岩」と呼んでいます。
この大岩にまつわる奇妙〈きみょう〉な行事があり、それはどうしても雨がふらない時は、里人は芦屋沖から大きな「ふか」を捕えてきて、このまな板岩の上で料理をし、その流れ出た血潮〈ちしお〉を、水神さんをおまつりしてある弁天岩に浴びせ〈あびせ〉かけるのであります。そうすると不思議〈ふしぎ〉なことに大雨となり、つまり「ふか」の血で水神さんを汚し、神を怒らせ、神はこのけがれを払う〈はらう〉ため雨をふらすということです。

天保〈てんぽう〉五年八月一日から、芦屋の里や打出〈うちで〉の里には、九十八日間ひでりがつづきました。作物は枯れはて、飲み水もきれ、芦屋の住民はたいへん困りましたので「ミノカサ」姿で、手に手にたいまつを持って、小高い天神社の広場に集まって雨乞い〈あまごい〉をしました。山と積んだたき木に火をつけると、パチパチと焔〈ほのお〉は天を赤くそめ、雨乞いの踊〈おどり〉はたけなわとなり、また打出の部落でも打出神社に集って、雨乞いが行なわれ、大火をとりかこんで「シャコ踊り」を初めました。
勇徳院彦兵衛〈ゆうとくいんひこべえ〉さんは、この里一番の山伏〈やまぶし〉で、関西の山々の大先達〈だいせんだち〉でありました。このだいかんばつに雨乞いを決行し、弁天岩のほら穴におこもりしました。七日の断食〈だんじき〉をし、里人が沖で捕えた「大ふか」を、神にお供えし、祝詞〈のりと〉と、呪文〈じゅもん〉を、一生けんめいにとなえ、やがて、まな板岩の上に「ふか」をのせ、大包丁〈ほうちょう〉を「ブツリ」と腹〈はら〉にさしました。赤い血潮が流れ出て、これを神器にとり、弁天岩にふりかけました。すると一千メートルの六甲山頂上の石宝殿〈せきほうでん〉あたりから、にわかに黒雲がたち、ものすごい稲妻〈いなずま〉と、山をゆるがす雷鳴〈らいめい〉がとどろいて、たちまち待望の大雨となりました。

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