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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 紙祖東山弥右衛門〈しそひがしやまやえもん〉(西宮市)

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更新日:2012年11月19日

紙祖東山弥右衛門〈しそひがしやまやえもん〉(西宮市)

塩瀬〈しおぜ〉町名塩〈なじお〉は、いまでも数少ない和紙〈わし〉(がんぴのせんいをすりつぶし土とまぜて、一枚一枚手すきでつくりあげる)の産地です。せまい山あいの町ですが、戦前までは製紙業〈せいしぎょう〉のだんな衆〈しゅう〉や、すきこ(和紙をすく職人)たちで、名塩千軒〈なじおせんげん〉といわれるぐらいはんじょうしたものです。
しかし、この耕地にめぐまれていない、いわば豊かでなかった名塩が、紙づくりの町として栄〈さか〉えるには、今に残るいくつかのかたりつたえがあります。

江戸時代のはじめごろとも、もっと前ともいわれていますが、東山弥右衛門〈やえもん〉という若者がいました。
弥右衛門は、生まれ故郷〈こきょう〉名塩の人びとが、農業だけにたより、朝早くから夜は星をいただくまで働いても、そのくらしが、大へん貧〈まづ〉しいのに心を痛めていました。
あれこれ考えをめぐらしていた弥右衛門は、越前〈えちぜん〉(福井県の東部)の製紙業を名塩に移入しようと思いつきました。かれは、旅したくをととのえ、越前にむかって、ひとり出発していきました。昔のことです。しかも越前は幾十の山坂をこえた、はるかかなたの見知らぬ土地です。苦難に苦難を重ねて、たどりつくことができました。そして、しあわせなことに製紙業者の家に住むことができました。ところが、当時の越前では製紙の方法は、親子、兄弟の他は誰にも教えてはいけない秘密〈ひみつ〉とされていました。それでも弥右衛門は、みようみまねで、いろいろくふうをこらし、何とかおぼえようと努力しました。が、一番かんじんな点になるとわかりません。どうしても上質〈じょうしつ〉の紙をすくことができません。思いあまった弥右衛門は覚悟〈かくご〉をきめ、ある製紙家のむこ養子〈ようし〉になりました。

それから、何年かたちました。弥右衛門は養子として、家業の製紙をおぼえるため、一生けんめいにがんばり、ついに秘密〈ひみつ〉を習得〈しゅうとく〉することができました。生まれ故郷をはなれ、越前にきた第一の目標〈もくひょう〉は達成〈たっせい〉できたわけです。つぎに弥右衛門がしなければならないことは、いうまでもなく、この習得した製紙法の秘密を名塩に伝えることです。そのためには、自分が故郷名塩に帰らねばなりません。それが、なつかしい故郷を一人旅立つとき、自分に与えた任務〈にんむ〉のはずです。けれども、いまの弥右衛門には、妻も子もいます。妻は、夫弥右衛門と別れるなどとは夢にも思っていません。弥右衛門も妻や子どもを、このうえなく愛しています。このまま越前におれば、製紙業者として栄え、妻や子どもといっしょの幸福な生活を送ることができます。妻も、わが子もそれを望んでいるにちがいありません。しかし、それでは貧〈まづ〉しいくらししかできないみじめな名塩の人びとを、救うことができません。
弥右衛門は悩〈なや〉みました。どちらを選んだらよいか苦しみました。苦しみぬいたあげく、弥右衛門は、自分を中心とした幸福をすてて、多くの人のために生きようと決心しました。ある夜、ひそかに家も、妻も、子どもまで、すてて越前を去りました。

名塩に帰って弥右衛門は、村人たちに、製紙の技術〈ぎじゅつ〉を指導〈しどう〉しはじめました。これで名塩を救うことができると、製紙業ひとすじのくらしに、明〈あ〉け暮〈く〉れしました。あるいは、越前に残してきた妻やかわいい子どものことを忘れようという気持があったのかもしれません。
いっぽう、越前に残された妻は、風のたよりに夫弥右衛門が名塩にいることを知り、連〈つ〉れもどそうと、はるばる訪〈おとず〉れてきました。村人たちは、いま弥右衛門を連れ去られては、ようやく芽〈め〉を出しかけた製紙業が消えてしまうことになると、村の入口から、中へ一歩もいれさせませんでした。
「せめて、一目あわしてください。かわいい子どものことも話してあげたい。」と、いう妻の必死〈ひっし〉の願いもことわりました。もとより弥右衛門にも知らせませんでした。妻は、村人たちの情〈なさけ〉しらずのしうちをうらみ、弥右衛門にあうこともできず、村はずれで自分の命を自分で断〈た〉ってしまいました。
こんな、かなしくむごいこともありましたが、その後、名塩の製紙業は、年々盛んになっていきました。西宮市塩瀬町名塩丑〈うし〉の子中山に弥右衛門の墓があります。

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