• お問い合わせ
  • 文字サイズ・色合いの変更
  • サイトマップ
  • 携帯サイト

メニュー

ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 片目〈かため〉の行基鮒〈ぎょうきぶな〉(伊丹市)

ここから本文です。

更新日:2012年11月19日

片目〈かため〉の行基鮒〈ぎょうきぶな〉(伊丹市)

むかしむかし、奈良〈なら〉に都があったころ、行基上人〈ぎょうきしょうにん〉という偉〈えら〉いお坊さんが、諸国〈しょこく〉を歩きまわっておられました。人のためになることをしようという、気高いりっぱなお考えだったのです。

ある日のこと、上人さまが有馬の温泉〈おんせん〉へ行くために、さみしい猪名野〈いなの〉の笹原〈ささはら〉を歩いておられましたが、道ばたに倒〈たお〉れているきたならしい男に目をとめて立ちどまりました。
「もしもし、どうなさいました。」
やさしく手をかけてたずねますと、さもめんどうくさそうに
「持病〈じびょう〉を治しに、有馬へ行こうと思うてここまで来たんやが、からだがしんどうなってしもうた。だれぞ助けてくれへんやろうかなあ、と思うて待ってたんや。もう三日もめしを食うとらへんし、ハラペコペコや。あんたはんは、なんぞ食うもん持ってしまへんか。」というのです。
上人が旅のおべんとうの、ほしいいをとり出しますと
「あかんあかん、わしゃ、生の魚を食わんと、せいがつきそうにならんのや。」と、うけつけません。
「そりゃ、悪かった。しばらく待っとくれ。」
上人は、そこからわざわざ遠くの浜辺〈はまべ〉まで行って、漁師〈ぎょし〉に取りたての魚をわけてもらって帰ってきますと、「料理もせえへん魚が、食えますかい。」と、えらそうにいうのです。
上人は魚の片身を料理〈りょうり〉して食べさせ、片身を骨つきのまま、近くの昆陽池にはなしてやりました。すると魚は、そのまま泳ぎはじめました。今もこの池に「片目の鮒〈ふな〉」がいるというのは、この魚の子孫〈しそん〉だということです。

上人は、この行き倒れの男を、やさしくいたわりながら有馬へやって来ましたが、ある日のこと男はいいました。
「わしは、このとおりのひどい皮膚病〈ひふびょう〉や。温泉で洗うぐらいで治りそうにもないが、どうや坊さん、一ぺんわしの肌〈はだ〉をなめてもらわれへんかいな。ほたら、ちょっとはましになるように思うねんけどなあ。」
これには、さすがの上人も困りました。しかし、助けられるものなら助けようと思い、上人は、うみだらけの肌を少しづつなめはじまました。すると、なめたあとからあとから、そのなめたところが黄金色〈こがねいろ〉に輝きはじめ、やがて男の姿は金色〈こんじき〉の仏さまにかわってしまいました。
「あっ。」上人は思わず伏し拝んで、仏さまのおごそかなお声を夢うつつに聞くのでした。
「上人よ。わたしはお前をためすため、わざわざ病人に身をかえていたのじゃ。」
と、いったかと思うと、そのお姿は消えてしまいました。上人は、そのお姿を薬師如来〈やくしにょらい〉として木像〈もくぞう〉に彫〈ほ〉り、有馬の薬師堂におまつりして、人びとの病気が治るようにいのりました。
伊丹の昆陽野〈こやの〉にも昆陽寺〈こやでら〉を建てて、薬師如来をおまつりしたということです。

お問い合わせ

情報管理部広報係

電話番号:078-331-9962

ファクス番号:078-331-8022