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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』阪神編 > 大鹿の雨乞い(伊丹市大鹿妙宣寺)

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更新日:2012年6月1日

大鹿の雨乞い(伊丹市大鹿妙宣寺)

伊丹〈いたみ〉の大鹿〈おおじか〉に、日蓮宗〈にちれんしゅう〉の大覚山妙宣寺〈だいかくざんみょうせんじ〉という、大へんゆいしょのあるお寺があります。
大鹿というところは、大同二年(八〇七)に坂上田村麿〈さかのうへたむらまろ〉という人が、いまの尼崎市大物〈だいもつ〉の浦〈うら〉に船をとめて家来〈けらい〉とともに狩〈かり〉をしましたが、その日はどうしたことか少しも獲物がなく、とうとう妙宣寺のあたりまできてしまいました。

そして、ようやくにして、ここで大きな鹿を射とめる〈いとめる〉ことができました。
田村麿はたいへんよろこんで「みなのものここへ集れ。これからこの地を『大鹿〈おおじか〉』と名づける。」とつたえて、それから大鹿という地名がおこったと伝えられています。
大鹿というところは、少し高台となっていて景色もよく、たいへん住み心地のよいところであったから、田村麿はこのまま去るのが惜しくなり、家来たちに「もしおまえらの中で、ここに残りたいというものは、ここに住みついてもよいぞ。」と許し、それらにみな坂上という姓〈せい〉を許したので、いまでもこの地には坂上姓が多いといわれています。
このように大鹿というところは、たいへん古くからひらけたところでしたから、そのまんなかに、真言宗〈しんごんしゅう〉の妙宣寺(いまの日蓮宗妙宣寺)というお寺が建てられたのでした。

このお寺に文和〈ぶんわ〉三年(一三五四)の秋のはじめ、日蓮宗の大覚大僧正〈だいかくだいそうじょう〉というえらいお坊さんが布教〈ふきょう〉のためやってきました。
ちょうどこの時、大鹿はたいへんなひでりで、田畑の作物はほとんど枯れて〈かれて〉しまい、村の人たちは困りはてて顔色はなく、毎日このお寺に集って雨乞い〈あまごい〉ばかりして、生きた心地もなかったのです。
大覚大僧正はこのようすをみて、つかつかと村人の中にはいってきて、「みなさん、こんなひどいひでりつづきでは、さだめしごしんぱいのことでしょう。どうです、わたしといっしょに、なんみょうほうれんげきょうをとなえて、雨乞いをしませんか。かならず雨をふらしてみせましょう。」と。
村人たちは、たいへんよろこんで、一せいにたちあがり、「なんみょうほうれんげきょう、なんみょうほうれんげきょう。」と、大きな声をはりあげて、一心ふらんに祈りだしました。

しばらくの間、そうしていのっていましたが、アーラふしぎ。いまのいままでかんかんでりの空が、一天にわかにかきくもってきて、大つぶの雨がポツリ、ポツリ、やがて風をよんで、大雨がはげしい勢いでふりだしてきました。
「ワァー、雨だ、雨だ、雨だゾー。」みんなが大雨の中をとびまわって、頭から着物からビッショリぬれて、気ちがいのように、だきあって泣きだしました。そして一時〈ひととき〉、二時〈ふたとき〉、ようやく雨はあがりました。

ようやく自分をとりもどした村人たちは、まるで夢でもみていたように、ホッとため息をついて、さっきのお坊さんはどこに、はやくお礼を申し上げねばと、首をまわしてみると、かさのひさしに手をかけて、ニコニコと村人たちのうれしそうなはしゃぎをみていました。
村人たちは、われさきにとお坊さんのまわりに走りよりました。そして「ありがとうございました。」「ありがとうございました。」

「おかげさまで、すくわれました。助かりました。」とみんながぬかるみの中にすわりこんでおがみだしました。
大覚大僧正は、しずかにうなづいて「よかったですね。これはみなさんのまごころが仏〈ほとけ〉に通じたのです。いまありがたいお話をしますから、これが世にひろまれば、この杖〈つえ〉はかならず根をおろし葉がしげりましょう。」といって、手にした竹の杖を地にさしておいて去って行きました。
いまその竹杖〈たけづえ〉は根をおろし、よくしげってやぶになっています。そして、大鹿は一村こぞって日蓮宗になっているのもおもしろいと思います。

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