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ホーム > 学校・授業の教材 > 郷土の民話 > 『郷土の民話』淡路編 > 敦盛〈あつもり〉の首塚〈くびつか〉(南淡町福良)

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更新日:2012年12月10日

敦盛〈あつもり〉の首塚〈くびつか〉(南淡町福良)

南淡町福良〈なんたんちょうふくら〉湾口近くに滋賀県の琵琶湖〈びわこ〉の竹島を思わせる姿のよい島があります。
その島の周囲は四百メートル、島中が岩でできていますが、樹木がうっそうとおいしげり、あたかも原始林を思わせるようです。この島は竹島、別の名を煙島〈けむりじま〉と呼ばれています。
この島は陸地から二百メートルほどはなれていて、東面に鳥居があり、急な石段を百数段登ると、二十アールほどの平地があって、正面に市杵島〈いつくしま〉神社があります。周囲はたくさんの木が茂り、深山にいるような気がいたします。
この本殿の左手の林の中に北に面した石のかるたがあります。これが、無官〈むかん〉の太夫平敦盛〈たゆうたいらのあつもり〉の首塚であります。

さて、話かわって、寿永〈じゅえい〉三年二月、平家の一門が、一の谷(神戸市須磨)で、源氏の大将源範頼〈みなもとののりより〉、義経〈よしつね〉の率いる源氏と戦って敗れ、平家の一門は船で海上に逃げました。
逃げる平家を追って、源氏の荒武者熊谷二郎直実〈くまがいじろうなおざね〉が海辺までくると、ちょうど逃げおくれた平家の大将らしい騎馬武者が味方の船においつこうと海に馬を乗り入れていました。
直実〈なおざね〉は、「やあやあ、そこ行くは平氏のおん大将とみうけたり。敵にうしろをみせるはひきょうなり。返せ返せ。」と、右手に高く鉄扇をかかげて、大声に呼ばわりました。
すると、その武者、馬首をめぐらせてもどってきます。
浜辺に上がると、太刀で二、三、合い切り結びましたが、面倒なりと直実〈なおざね〉が組みついて馬から落とし、組みしいて、短刀を抜き、首にあてようとして、よく顔を見ると、十六、七才の美しい少年です。
直実〈なおざね〉は、こんな少年の首をうったとて手柄にならん。こんなことなら呼びもどすではなかったと後悔してたすけてやろうと思って手をゆるめかけているところへ、源氏の騎馬武者が、パカパカとやってきて、「やあやあ、直実〈なおざね〉、おくしたか。」と、よばれました。
しかたなく直実〈なおざね〉は、心を鬼にして、この若者の首をおとしました。
この若者が、平敦盛で、よろいの箙〈えびら〉に青葉の笛をさしていました。
昨夜、平氏の陣中から聞こえてきた笛の音は、この若者がふいたのかと思えば、手柄どころか、ただ悲しさ一ぱい…。
そこで、この首を父の平経盛〈たいらのつねもり〉のもとに送りとどけました。

さて、一の谷の沖からおちた平家一門は、安徳天皇を奉じて四国の屋島〈やしま〉へいく途中、約一週間、この福良に舟をただよわせ、味方の舟がちりぢりになったので、それを待ち合わせました。
その時、おさない天子を長く海上にただよわせたてまつるのはもったいないと考え、しばらくの間でもと、この福良湾中に舟をつなぎ、天子を竹島にお上げ申しました。
お休みになられた所は、島の北方に南面してもうけられました。
その時、敦盛〈あつもり〉の首がここにほうむられたとか。

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